一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

五百年

f:id:westgoing:20211002120202j:plain

弥勒菩薩像(江戸中期)。ご案内状から無断で切取らせていただきました。

 金剛院さまは、開創五百年に当られる。来春、記念法要を予定しておられるが、ご時世ゆえ見通し不透明な問題もあって、たいそうなご苦労とのことだ。
 記念法要は什物のひとつ弥勒菩薩像を本尊となされ、体内に「五穀豊穣・四海泰平・福寿無量」ほかの願文を納めるとのこと。併せて、希望する檀徒の氏名を記して、納めてくださるという。
 具体的には、蓮華台の空洞に、ご住職による願文と檀徒氏名を入れた宝塔が納められる。

 弥勒菩薩といえば、京都広隆寺と奈良中宮寺のハンカ・シイ像を、誰でも思い浮べることだろう。右足を左腿の上に組んで、寛いでおられる。お顔はかすかに頬笑み、右手を頬に近づけ、考えておられる。五十六億七千万年後に一切の衆生を救い上げることになっているが、さてその方法はいかがしたものかと、思案しておられる座像だ。
 ともに古来より熱烈なファンの絶えぬ像だが、和辻哲郎による広隆寺の像絶賛論や、亀井勝一郎による中宮寺の像絶賛論は、つとに有名だ。

 まだ二十代だったが、広隆寺弥勒像前で、磔に遭ったように動けなくなったことがあった。誰もが惹きつけられ、物の本がこぞって絶賛してやまぬ頬笑みは、それはそれは美しかった。が同時に、その美しさが悪魔的に怖ろしく残酷なものとも、見えてしまったのだった。
 まさか、眼の錯覚だろう。我が気の迷いに違いない。うつむき考え、幾度も自分に云い聴かせながら、また観上げる。それを繰返して、しばらくの時を過したわけだ。
 五十六億七千万年後に、命あるもの悉くが救われると、約束されている。ということは、それまではけっして、救われることなどないと、突放されているわけだ。

 鎌倉時代の武士・民百姓らも、戦国下剋上時代の武士・民百姓らも、この仏の前に立ったことだろう。命の瀬戸際を迎えた者も数限りなくあったに違いない。それらに対してこの仏は、たゞ「待て」とのみ云い渡してきたのだ。
 この仏の眼前で、途方もない量の血が流れた。優美な頬笑みはまた、あらゆる人間の願いを拒絶してきた、残酷な微笑でもある。
 それを想って、トンチンカンな若僧だった私は、その場に凍り付いたのだった。たしかにトンチンカンには違いなかったが、その日、信仰というもの、思想というものについての認識は、格段に深まった。

 金剛院さまの弥勒さまはきちんと座しておられ、片足を組んではおられない。けれど、お顔から察するに、やはり考えておられる。
 菩薩とは仏様の世界の大学院生だ。如来が教授である。薬師教授の両脇には、日光・月光の両大学院生が従っている。思案・修行中の菩薩が、悟りを拓いて如来となる。
 釈迦、阿弥陀、大日など、いずれも教授。弥勒をはじめ、観音、勢至、文殊、普賢、地蔵ほか、修行中の大学院生である。修行中といっても、我らとは桁が違う。古来、民草に近い仏様として、信仰を集めてきた。

 仏像に親しむ機会の多くない私のようなものが、如来像と菩薩像とをどう観分けたらよいか。簡単だ。
 悟りを拓いた如来さまは、裸でいらっしゃる。最低限の衣服以外は、身に着けない。したがって、冠や髪飾り、ネックレスやブレスレット、そのほかのアクセサリー類をひとつでも身に着けていたら、それは菩薩さまである。

 ところで、金剛院さまからのありがたいご案内をいただいて私も、弥勒さまの体内に、我が名を入れていただくことにする。