一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

具合好く

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 学生有志諸君が明日来訪とのこと。大学祭(今年は開催するらしい)での催しの打合せと、在庫チェックだとのこと。拙宅が、サークルの資材と在庫の倉庫となっているのだ。同時に、案内印刷物の都合で、私の姿写真を撮影したいとのこと。写真学科の上級生を連れてくるとか。なにやら本格的である。

 撮影といっても日常スナップだろうから、衣装の準備は不要だろうが、せめて髪くらいは。本日月曜につき、庄司理髪店は休業。有志来訪は午後早々と云うから、明日午前中に急遽散髪の予定となる。
 定年退職を機に、頭を丸めた。世話無しにしたかったのが一番の理由だが、脱世間とでもいうか、出家の覚悟も少しはあった。丸刈りにしてみると、前頭から頭頂・後頭部へかけては、もともと髪もたいしてないので変りないが、側頭部や耳の上の伸びが、これまで以上に気になるようになった。髪の質も劣化したと見えて、帽子やバンダナの跡がより明瞭になっては、なおさらである。
 しかし町から出る機会も、人とお会いする用事もほとんどないから、近いうちに散髪へでもと、ずぼらを決め込んで気楽に構えていたが、撮影となればそうもゆかない。

 散髪代。それに撮影後に有志諸君と懇談・会食または一献ということになるやもしれぬ。金が足りない。銀行ATMへ行かねばならぬ。
 せっかく外出するのであればついでに、これも近日予定だったランドリーへも。となれば洗濯機を回す時間は、買物に宛てることにしているから、四日に一度のインターバルを一日早めて、八百屋とビッグエーも済ますか。
 とすればまず、家中の洗濯物を搔き集めなければならない。同時に、次の惣菜は何にするか、雁もどき野菜か鶏ゴボウか、肉ジャガかヒジキ大豆か、向う四五日の献立枠組みを思い浮べなければならない。残り少々となった胡麻油とインスタント珈琲の補充を前倒しするか否か。砂糖は待ったなしだから、当然補充だ。
 来訪者あることで、家事が玉突き渋滞となる。

 着々行動開始。搔き集めた洗濯物は思いのほかの量となったので、今日は大型洗濯機だ。水なら三百円だが、奮発して湯洗い四百円。四十分かかる。
 銀行ATMと買物を済ませ、いったん帰宅。冷蔵庫へ収めるべきものを収め、ランドリーへ戻る。洗い終了まであと十二分。
 ビッグエーで買ったばかりの缶珈琲を一本、ポケットに差してきたので、開ける。五十五円。最近自動販売機の百円珈琲を飲む気が、とんとなくなった。百二十円などは犯罪的とすら思う。

 阿部昭『短編小説礼賛』(岩波新書)のチェーホフマンスフィールドの章を読み直す。かつての書込みや傍線に、不足があったと気付く。
 阿部先生、じつはこの章をお書きになりたくて本書を構想なさったのではと、改めて思う。マンスフィールドを紹介する都合上、前提としてチェーホフに触れておかないと、なーんて照れた拵えにしてあるが、どうしてどうしてこのチェーホフ観、お力が籠っている。

 洗濯機が停まったので、正面の乾燥機へと中身を移す。十分百円だから、今日は三百円。タオルケットやバスタオルという難敵が混じっているのだ。

 ――小説には「筋」は要らない、人生には「筋」はない、むしろ人生の何もかもが「筋」なのだ~
 ――この人生には筋がないと同時に、主人公などというものはいない。(略)すべての人間が各々の物語の主人公である。

 おっしゃるところ阿部先生、まったく同感でございます。そのことを私、ユーチューブ等で喋っているつもりなのでございますが、話術拙く、巧いこと表現できておりません。
 それにしても阿部先生、百二十年前のあの時代に、そんなふうに考えたチェーホフは、それはそれは孤独でございましたでしょうねえ。周囲からは、文学だと思われなかったことでございましょうねえ。

 甲高い電子音が鳴って、乾燥機が停まった。扉を開け、まずタオルケットの耳を確かめる。湿り気はまったく残っていない。今日は具合好くいった。