一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

秋の蝶

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 散髪屋さんへの道すがら、季節ごとの花壇が売りの公園前を通る。春の花々とは、どこかしら異なる気配を感じる。気のせいか。こちらの気分の問題に過ぎぬのだろうか。
 蝶が一匹、写り込んだ。どーこだ?

 サークル活動の学生諸君が来訪。大学院生と四年生と三年生の三人組。過ぐる二年間、会長(主将)を務めてくれた四年生からは、就職内定の朗報を聴いた。本人の気性にまさに真向きの職らしく、歓ばしい。
 親元が青物・果物の卸屋さんとのこと。巨砲と蜜柑をいただいた。日ごろ自分ではけっして買うことのない高級品だ。つかの間の贅沢ができる。

 昨年は中止になった大学祭が、今年は開催されるという。たゞし学生・院生・教職員や関係者、つまり内部の人間のみが対象で、外部から来場できぬ形式だそうだ。
 となると、私などは単なる元教員、現在は部外者に過ぎない。また日ごろから後輩の活動を支援し、知恵を貸してくださっているOBたちは、どうなるのだろうか。
 社会情勢や大学当局見解も二転三転、開催実行委員会は混乱をきわめて、細かい線引きについては、いまだ明確でない点も多いという。さもありなん。

 サークルでは大学祭期間中、古本屋を出店してきたのだが、外部からの来場者無しとなれば、品揃えの量と傾向をどう予測したものか、思案に余るという。もっともだ。
 なにせ学生同僚から用済み品を集めただけのフリーマーケットなどではない。協力古書店様からご指導をいただいて、本職の古書市・交換会から仕入れてくるのだ。それに前年末に残った在庫を、組合わせて店作りする。予算も日数も掛るし、読みも必要になる。

 加えて人手(兵隊のアタマ数)問題。我がサークルのみならずどちら様でも、日常活動が極端に制限されてきたために、新会員が増えていない。入学したからには何らかのサークル活動に参加してみたい下級生がほとんどだろうが、新会員勧誘の機会がまったく閉されてきたのだ。
 スポーツであれ学芸であれ趣味的なものであれ、活動したい若者だらけ、募集したいサークルだらけであるにもかかわらず、接触の機会がなかった。後々傷跡を残す気がする。

 学生時代を思い起してください、と社会人にお願いしたとして、講義内容について語ってくださるかたが、何パーセントあるだろうか。
 友人との交友や恋愛、サークル活動や旅行経験、アルバイトやヴォランティア、恩師との個人的な接触などなどが、懐かしく語られることだろう。
 講義が不可欠の中心であることには同意する。だがそれのみをもって大学とは称べない。過ぐる一年半は、大学とは別の、とある窮余の教育機関だったと、私は思う。

 この情勢では、サークルの存続が懸念されると、現会長の四年生と多分次期会長の三年生は口を揃える。
 だが、である。たまたま私の周囲に集った、本好きで古本屋歩きを面白がる、数人の学生で立上げてより二十年余り。消滅の危機は幾度かあった。そのたびに、中興の祖的な人材が現れたり、活動形態を工夫したりして、息を吹返して現在に及んでいる。そんなことの一端を、三人に話した。
 黄金期には黄金期の、消沈期には消沈期の、思い出がある。だからこそ、危機に見舞われたサークルの後輩たちに手を貸したいと、申し出てくれるOBたちの想いは熱い。まことにありがたい。

 会計担当の女子は、写真学科出身で映像芸術研究科の大学院生だが、金庫の中身を改め、この間の経費調整を済ませ、大学祭出店期間中に必要となる、釣銭用小銭の算定を了えた。
 過去には、コレゾ金庫番と周囲の誰からも慕われた先輩も数人あった。彼女もその伝統に連なる一人となるのだろう。過去の金庫番の一人は銀行に就職したほどだ。芸術学校出身の銀行員は、さぞ珍しかろう。

 現金庫番は、金勘定を済ませると、やおらバッグからカメラを取出した。何に使うつもりか、私の姿写真が必要だという。
 写真を用意せねばならぬ仕事には出遭ってこなかったし、撮られてしまうほど偉くも有名にもなったことはないから、自分の姿が写り込んだ写真など、ほとんど知らない。
 「今、君に撮ってもらうとなると、それを我が葬式の遺影に流用させてもらうことになるが、よろしく」と申し添えた。

 そうだ。撮影もすると云われていたから、急遽散髪屋さんへも行くことにしたのだった。

【こたえあわせ】

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