一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

出現

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公演プログラム、チケット半券(1965~66)

 劇団民藝公演『ゴドーを待ちながら』。フランス留学を了えた渡辺浩子さんが、自訳と演出プランを手土産に帰国し、演出した。
 むろん私は、ベケットのベの字も知らなかった。たゞ雑誌『新劇』『テアトロ』に眼を通す高校一年生だったから、これが世界の話題作だとの情報には、かろうじて接していた。

 西武デパート池袋店の一階の赤札堂(プレイガイド)へ出向いた。
 「劇団民藝公演のチケットは、こゝで買えますか?」
 「ゴドー?」
 「はい、一枚」
 小柄な女性店員は、ちょっと怪訝そうな顔つきをした。新劇チケットを求める客にしては若過ぎると思われたかもしれない。上目遣いの小顔でゴドー? すぼめた唇の、縦溝に沿って、紅の剥げた色と残った色とが筋まだらになった一瞬の画が、たまらなく印象に残って、それからしばらくは思い出されて困った。

 会場は大手町の農協ホール。芝居の中身は、なにがなんだか解らなかった。たゞなにやら抜き差しならぬ緊張感に、縛られたような後味が残った。もしやこれはタイヘンな代物ではないかと、妙な予感のようなものに、胸が騒いだ。
 幕が下りてからも、客席のあっちに三人、こっちに四五人と客が残って、議論している。ゴドーとは何か? 神か、いや死ということだろう、救済往生というユートピアではないか? どの顔も、真剣そうだった。

 翌日すぐさま、赤札堂へ走った。まだ公演日数がある。チケットが残っているかもしれない。買えた。それが一九六五年十二月二十五日のチケットである。あの口紅のお姉さんは、いなかった。
 公演は好評だったと見え、会場には追加公演決定のチラシも並んでいた。正月を過すうちに、もう一度観ておこうという気になった。それが追加公演、一九六六年一月二十五日の舞台である。

 十二月のチケットには、公演日や曜日まで刷込んであるのに、追加公演のチケットはゴム印だ。不都合部分はマジックインキで塗りつぶしてある。1965年の末尾の5を、6に上書きしてある。
 二か月のあいだに、三回観たことになる。一回目だけは、チケットが残っていない。まだチケットをプログラムに挟んで保存する、自分流のやりかたも確立されてなかった。

 『ゴドー』より数か月前、劇団雲の『罪と罰』を観たのが、我が観劇の始まりだ。直前の夏休みに『罪と罰』を読んだばかりだったので、芝居公演に眼が停まったのだ。
 ということは、芝居を文学の延長と、または文学理解の補助と、無意識のうちに考えていたのかもしれない。
 が、『ゴドー』と出逢って、それは違うと、思い知らされたのだった。芝居が、それまで自分が接してきた文学とも映画ともまったく異なる、新たなる表現分野として、自分の前に出現したのだった。

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 主役のウラジミールとエストラゴンは、宇野重吉米倉斉加年。通り掛るポッツォとラッキーは、下条正巳大滝秀治
 ベテラン陣を相手に、当時米倉斉加年さんは、若手の大抜擢のようにも目された。