一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

転がっている

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 拙宅とはつい眼と鼻のマンション一階が、新店舗開店に向けて工事中だ。くんせい屋さんができるらしい。奥で製造もなさるらしく、電飾看板にはファクトリーと書いてある。そういうご商売があるとは承知していたが、なにやら専門的でお洒落なお店のような気がして、自分で買物をしたことはない。むろんこの町では、初めて視るご商売だ。
 こゝには自転車屋さんがあった。次郎(我が愛車の名)も先代次郎も、そこで買い、タイヤ空気入れや修理や付属部品の手配など、すべてお世話になった。隣町の姉妹店と統合され、移ってゆかれた。

 お向いは、創作ケーキ屋さんだ。目立たぬ小店ながら「食べログ」では高評価で、季節ごとのフルーツあしらいが特色とのこと。他所から買いに見えるお客さまもあるという。その三軒ほど先には、つい先ごろ白ソース専門のパスタ屋さんが開店したばかりで、まだ祝賀花のスタンドが出ている。
 いずれも美味そうで、一度入ってみたくはあるものゝ、どこのみすぼらしい爺さんがやって来たかと、怪しまれそうだ。
 そう気づいて、駅から帰宅の途みち注意して視ると、特別な事情でも発生しない限り、私独りでは入らないなと思うご商売が、あっちにもこっちにも目立つようになった。

 ご専門家がなさることゆえ、どちらさまも事前のリサーチは入念だったことだろう。近隣住民の年齢層・購買傾向・美意識など、分析なさったうえでのご開店だろう。ということは、私のほうが、地域住民の傾向なり平均なりから、すでにはみ出してしまっているのだろう。あるいは落ちこぼれてしまっているのだろう。

 想い起せば、年に一度の地元神社祭礼のとき、神輿の担ぎ手たちの顔がさっぱり解らなくなった。十五年くらい前だと、さすがに担ぎ手ではなくとも、取巻いたり露払いで先頭を歩いたりする役員のなかには知った顔もあって、
 「おい、もう担がねえのかい?」と声を掛けると、
 「よせやい、三日は寝込むわ」
 「強気だねえ、三日で済むかい。まずひと月は入院だろう?」
 などという会話もできた。「あの声のデカイのは誰だい?」と訊ねれば、
 「あゝ、畳屋の二番目のセガレ。修業に出てるが、祭だけ帰ってくる」
 「あの、姐ご肌はよ?」
 「知らねえの? 一番寿司の若の嫁さんだわ」
 「あれがかい。評判は聴いてたが、なるほどねぇ」
 なんていう会話もあった。日ごろどこにどうしているかも知らぬ若者たちであっても、ダレソレのセガレ、ナニガシの孫と聴けば、そうだったのかと思えた。
 近年それが、さっぱり解らない。想像もつかぬ人たちが、我が町の神様をお運び申しているわけだ。

 ターミナル駅から私鉄であっという間のほど近く。徒歩すら可能。代官山みたいなものだ。
 統廃合で旧小学校の敷地も空いている。水道だの下水だのゝ必要から、かつて原っぱだったあっちこっちを区の土地にしてあって、今は公園だ公務員住宅だ区役所出張所だと、もっともらしく活用してはいるが、そんなものどう転用しても理由は立つ。劇場だの玄人受けの名画座だのを建て、美術館やら音楽堂やらを建てゝ再開発すれば、下北沢にだってなれるかもしれない。
 都市計画の専門家やディベロッパーにとっては、将来性ある町かもしれない。
 だが、そこに私は住めないだろう。その町にとって私は、お邪魔だろう。

 じつは今、若者中心の文学賞の選考中だ。アイデンティティーの不安だの、性的少数者の苦悩だの、近未来ディストピアの恐怖だのと、この世に居場所の見つからぬ主人公が、これでもかとばかりに描かれて、寄せられてくる。自分の感受性・美意識の持って行き場がないと、訴えてくる。
 いちいちごもっともではあるが、揃いも揃って観察不足で大袈裟なのには閉口する。そんな観念的で小難しい技法をひねり出さずとも、自分の居場所がなくなる恐怖は、どこにでも転がっているじゃないか。