一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

わが円周率

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 疫病下では、急行も普通列車に負ける。
 
 ――定員六名様です。ただ今、九号機・十一号機は定員となっております。十号機前にお並びください。少々お時間掛りますので、お急ぎのかたは、奥左手のエスカレーターをご利用ください。
 失礼ながら、さほどお若いとはお見受けできない、ベテラン店員さんらしき男女お二人が、杓子定規な口上を繰返しては、行列を制限している。
 早く云ってよぉ、という気も起きたが、二分ほど待ったあとだったから、その時間の面子を立てるために、並び続けた。池袋ロフトは西武百貨店の十一・十二階だ。

 エレベーターはデジタル急行だ。必要ない駅はすっ飛ばして、一気に目的地へと急ぐ。しかも、つい今しがた乗込んだばかりの扉が開くや、似ても似つかぬ別世界が眼の前に現れるのだ。
 エスカレーターはアナログ普通列車だ。次は婦人物だぞ、次は時計眼鏡・貴金属だぞと思っていると、徐々にその風景が見えてくる。徒歩よりは楽だが、認知の順と仕組みには徒歩と変りがない。
 だのに、エスカレーターのほうが速いという。やれやれ。

 日ごろ私は、行きはエレベーターで昇り、帰りはエスカレーターで降るのを、原則としている。
 行きにエスカレーターを使うと、売場の色彩やポスターに眼移りしたり、乗っているあいだに思い出すことがあったりして、ついつい途中下車してしまう。芋蔓式に思いつくことがあったりしようものなら、思わぬ時間を使ってしまったうえに、ついに岩清水には詣でざりきの故事に倣う破目ともなりかねない。一目散に目的地を目指すに限る。
 ことに昨日はそゞろ歩きではなく、明確な目的があった。来月は父の十三回忌に当る。三回忌・七回忌も同様だったが、親戚に触れを回しての法事などしない。菩提寺さまにお布施を納めて塔婆を立ていただき、独りで勤める。で、月例の仏前袋ではなく、少々体裁の整った、布施や塔婆料の袋はないかと物色したかったのだった。

 下りは当然、エスカレーター。若者向けスポーツウェアが見える。ウォーキングと称して近所散歩する私の姿とは、だいぶ異なるようだ。半世紀前なら俺だってなぁと、ふと思ってみたりする。いや、ありえないなと思い直す。世に云う神田川世界。貧しい惨めな時代だった。自分が女だったら、あんな男、絶対嫌だとも思う。

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 テーブルウェア・キッチン雑貨・バスルーム用品、などのパネルがさがったフロア。フライパンを視てみるかと途中下車。
 私にとっての遊園地といえば、ディズニーランドでも富士急ハイランドでもなく、零細出版人だったころは銀座伊東屋本店と鳩居堂本店であり、看病・介護に明け暮れるようになってからは、かっぱ橋道具街だった。近年億劫になり、目当ての買物もないので、いずれからも足が遠のいている。
 とはいえ今も、百貨店・スーパーでも、百均ショップでさえ、台所用品をあれこれ眺めることは、嫌いではない。現在気になっているのは、鍋の機能をも同時に果せる深型フライパンである。平野レミさんが熱烈推奨なさったことから、通称レミパンと云うらしい。

 確かに便利そうだ。しかし、とまたいつものごとく考え込んでしまう。
 現在常用中のフライパンは、径二十七センチのイタリアン用みたいな平べったいものと、径二十センチ小型の二つ。前者で餃子が焼けるし、後者で目玉焼きはじめ一人前用の小物はほとんど間に合う。さらに自分で見立てゝ二十年以上使い込んできている、径二十八センチ越後は燕三条にて製造の中華鍋があって、これがほゞ万能だ。加えて、玉子焼き専用の角型もあるし、未使用の平型ストックも一つある。使い込み過ぎて底が変形したのでよければ、母の使い古しも保管してある。
 早い噺が、今新品を手に入れても、生きているあいだに具合好く使い込むまでには至るまい。重心の加減を看るために振ってみはしたものゝ、惜しいなぁと思いつゝ、棚に戻した。

 なにをするにも、どこへ行くにも、残り時間との兼合いを勘案せねばならなくなってきている。そう悲観するにも当らない、結構心愉しい計算なのではあるが、円周率以上に微妙で、割切れぬ側面もある。
 それにしても、台所用品売場でためつすがめつ想いに耽っている老人を、もし眼に止めるお人でもあったら、果してどう思われることやら。