一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

達成感

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 重要な仕事の前には、豚カツを食べることにしてきた。多くの平凡人が考えてきた、もっとも月並な駄ジャレ験担ぎだ。
 夕方以降の仕事であれば、昼食か早めの夕食には、豚カツ定食かカツ丼。昼間の仕事であれば、朝食にハラダベーカリイでカツサンドを買う。日ごろはメンチカツサンドが定番気に入りで、それにツナサンドかポテサラサンドか、ハムエッグサンドかアンパンかを気分で組合わせている。こゝ一番の日なればカツサンド、という気分だ。

 十八時からズーム会議の予定。とある文学新人賞の最終選考だ。委員のかたがたや編集部の若手諸君と、画面上でではあるが、しばらくぶりで言葉を交わすことになる。
 というよりも、読み、または原稿用紙かパソコンに向うことはあっても、他人さまに向けて、文学について口にし声に出すのは、いつぶりだろうか。ユーチューブ収録はマイクに向っての独り語りだし。

 十一時、サミットストアへ。紹興酒に冷凍餃子に、雁もどきに梅干。そして豚カツ弁当を買った。午後であればカツとじ、つまりカツ丼が出たのだったろうけど。一〇九八キロカロリー、四百九十八円(税抜き)。これほど豪華な弁当は、おそらく一年以上ぶりだ。

 歯の具合がよろしくないこともあって、常よりも用心深く、ゆっくり味わう。なるほど、豚カツとはこういうものだった。
 かつては大好物だった。おそらくは育ち盛りに母親から食べさせてもらったうちで、もっとも気に入ったものだったことが、影響していよう。蕎麦屋で丼物を注文する場合にも、天丼・親子丼よりもカツ丼優先で生きてきた。どなたも一緒だろうが、鰻を解るのなどは、人生だいぶ長じてからのことだった。

 さて出陣の腹ごしらえは整った。例のごとく、弁当殻と蓋をキッチン鋏で切る。質量は変らずとも容積を解放してやり、ゴミの密度を増して、嵩を減らす算段だ。

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 収集日の朝、お向いの集合住宅から風に乗って拙宅前へと、ゴミ袋が転がって来ていることが、たびたびある。手に取ってみると、弁当殻も蓋も割箸さえも、水通しすらされぬまゝ雑に押し込んである。発泡スチロールやペットボトルも、分別なしでそのまゝだ。これではゴミ袋もライトフライ級なわけだ。しかたなく我が袋に封じ込め直す。

 切ったり、紙物を折って細長くして結んだりしたところで、面積が減っても厚みが出るから、量に変りはあるまいと、おっしゃるかたがある。さにあらず。テトリスの原理だ。隙間に嵌り込むように入ってゆくので、空間の無駄がない。だいいち、ゴミの弾力というか反発力が殺される。
 収集の朝(か前日深夜)袋の口を結ぶ前に、何度か揺すってやり、トントンと底を叩いてやれば、ゴミの嵩は驚異的に減ってくれる。テトリス状態が一気に進むのだ。この瞬間が、まことに心地好い。日常の微小な手間を積重ねたことが眼に見え、手に感じられる達成感がある。私のゴミは、少々の風で動いたりはしない。

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これが、こうなる。

 私は家事の噺をしているのではない。文芸創作の噺である。
 かくして、どうやらこうやらズーム会議を了えた。今回も、編集部の若手諸君からは、いろいろ教えてもらった。