一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

自重

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林達夫(1896‐1984

 『デカルトのポリティーク』が書かれたのは昭和十四年(一九三九)。『反語的精神』は昭和二十一年(一九四六)。その間に戦争・敗戦があったが、林達夫の姿勢・着眼にはいさゝかの揺るぎもなかった。
 新スコラ派がはびこる。哲学が教室内のものとなり果て、出世や利権や売名の道具と化す。世俗権力に寄添う。自由に考え、発言する者は危険視される。
 戦前も戦後も、日本で権威を気取る者たちの心根には、なんの変化も進歩もなかったと見える。哲学は死んだ。

 生きる道は限られる。ソクラテスはへりくだった。前途有望な青年たちに自力で考えさせ、発言させ、自身はツッコミに徹した。青年たちは、自ら賢くなっていった。
 が、権力者たちも阿呆ではない。正面切った口先の体制批判者などよりも、ソクラテスのほうがよほど危険と、視抜いた。だから逮捕し、死刑にした。

 その轍は踏むまじと、デカルトは考えた。順応した。正確には、順応する振りを貫いた。こうした哲学者の宿命の歴史について、林達夫は考え抜いた。そして単純な命題に行き着いた。反語的精神こそ生き残る術だと。
 ――自由を愛する精神にとって、反語ほど魅力のあるものが又とありましょうか。何が自由だといって、敵対者の演技を演ずること、一つのことを欲しながら、それと正反対のことをなしうるほど自由なことはない。

 批評とは、へりくだりの技術だ。上から目線で論破しようなどと企てようものなら、対象は扉をとざし、殻にこもり、武装反撃してくる。へりくだって内ぶところへもぐり込み、対象の奥深くにまで侵入すれば、対象の内部カラクリはおのずと見えてくる。
 頭を叩くのではない。下へ回って、引きずりおろすのだ。

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ヤダッ、あの人ったら……

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ワタシったら、もぅ……

 昨日に引続いて、Nickxar さんのドッキリ動画の噺。Shaker Pranks という、二〇一八年から一九年へかけての動画が何本かある。

 青年が建物の壁や電話ボックスに左手を突いて、やゝ前かゞみの姿勢で、右手に握ったサプリメントかアイス珈琲のカップを、下腹部近くでシャカシャカ振っている。背後からやって来た通行人からは、青年が立ったまま自慰行為に耽ってでもいるかに、見えぬでもない。
 ヤダまさかあの人、昼日なかから公衆の面前で……。胸を衝かれる人、眉をひそめる人、思わず立止る人。変質者には近づかぬに限ると、わざわざ迂回する人まである。青年から少し離れるように追越して行きしな、眼を逸らすような顔つきを装いながらも、一瞬横目で視る。必ずといってよいほど、視る。ドリンクのカップだ。
 五歩か十歩通り過ぎてから、笑いを押し殺す顔となり、こらえ切れずに笑いだし、同行者を叩いたりもする。

 青年の奇異な行動を嗤ったのではない。ありえようもないことを、一瞬想像してしまった自分の心の動きがおかしくて、笑いが噴き出したのだ。
 お上品とは申せぬドッキリだが、人間のとりつくろった外装を突破して、内心をさらけ出させるには成功している。

 おそらくは一部の顰蹙を買ったのだろう。このドッキリは、ほんの一時期投稿されただけで、以後は姿を消した。Bushman ドッキリは世界中に蔓延し、今も毎日どこかで投稿され続けているのに、Shaker のほうには模倣者が現れない。
 身を辱めてのユーモアとか批評精神というものは、そうそうあるもんじゃないのだ。

 ――反語家はその本質上誤解されることを避け得ません。ひそかにこれを快としているほどに悪魔的でさえあります。
 林先生! まことに耳が痛うございます。我が文学のほうでも、新スコラ派化は顕著でございまして、私ごとき、ゴマメの歯ぎしりいたしおります。

 フィロソフィーという語が到来したとき、「哲学」なる訳語にしたのが、今思えば問題だった。馬鹿正直に直訳して「愛知」としておけば、いくらかマシだった。名古屋市のある、あの愛知だ。
 哲学とは、記された文言・論理体系のことではない。知恵を愛して生きるという、過しかた・生きかたのこと。「哲学する」と動詞で使われるのが正しい。名詞の登場はだいぶ経ってからだ。
 それに倣って、かつては身辺の若者たちに、「文学する」という動詞を推奨したものだったが、あまりに滑稽視されるので、近年は自重している。