一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

解らん!

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 「祭や」さんが新装なって開店した。自粛要請に真先に応じて、半端営業などせずにいさぎよく休業に入ってしまったから、さて、どれほどぶりの営業となろうか。
 (どうかマツリヤではなく「サイヤ」と読んでください。営業:火~土、19時頃~。)
 私としても、ちょいと腰掛けて、ほんのいっとき世間噺に耳を傾ける場所が、ようやく再開したことになる。

 例によって看板などはない。地元にお住いのかたでも、あそこになにか店があるとは見知っておられようが、さて、なんのご商売かはご存じないかたがほとんどだろう。酒場である。
 誰かに連れられて、または紹介されて初来店されるのが普通で、よほどの好奇心に駆られるか蛮勇を奮うかしなければ、まず独りでふらりと初入店できる店構えではない。その度胸を持合せるほどの客であれば、入ってみればかならずリピーターとなる。

 飲食店だろうが、理髪店・美容院だろうが、その他の小売店だろうが、この町では、先代から続いているような地元老舗と、ニューウェーブとして近年参入のお洒落な店とに、分極化している。あとはスーパー・コンビニ・百均などの大型チェーン店だ。私鉄沿線町に共通の特色だろうか。
 「祭や」は珍しくその中間。かつて新参者としてこの町に漂着したのが、地味にしぶとく粘って、今では個性的な古手の商店主たちにも、あまねく知られて可愛がられている。祭礼やフリマなどの催しにも、確かな役割を果している。ニューウェーブの小綺麗なご商売をなさっているかたのなかに、「祭や」より古い店は見当らない。

 マスターの「ヨッシー」こと吉田さんが原則独りで切盛りしているが、準レギュラーの相方がいたり、かつては双頭の鷲のごとく相棒と切り回した時期もあった。
 相方や相棒の特技・持味に合せて、形態や献立を微妙に変化・調整するのがヨッシーの凄いところで、遠く振返れば、もつ鍋と焼鳥が売りの時期があり、和風割烹という時期もあった。湯豆腐の湯気を前に、店内にはジャズやR&B が流れたりもした。
 今は昭和の居酒屋のようでもあり、洒落たカフェバーのようでもある。なんとも形容しがたい「祭や」風である。

 ヨッシーは常に手作りで店を変化させる人で、水回りや電気系統を業者さんに依頼すると、あとはディスプレイはおろか、カウンターの高さや幅の改善だの、間仕切りの壁だの、道に面した窓枠の変更など、かなりの大工仕事も、時間をかけて楽しみながら、一人でやってしまう。具体的生活力からきし無能な私から視ると、ルネッサンス期のマイスターみたいな人だ。
 「この店は、ピカソのようだ。観るたびに、どこかしら変化している」と、評させてもらったこともあった。

 ヨッシーはひととおりでない苦労をして育った人で、「施設」と称ばれる学園で成長した。今でも学園仲間の幾人かとは、鉄の結束である。ご家族はアメリカ・台湾などに別々に暮している。高校・大学も頑張り、販売員から営業職もやり、飲食店のバイトから銀座の高級クラブのマネージャーまで勤めた。今では立派な姐さんがたとなった、かつての一流ホステスさんたちも、季節ごとに「祭や」に顔を見せてくださる。
 今回の休業中だって、派遣社員サラリーマンとして勤めたが、仕事熱心と対面能力を買われて、このまゝ残れと引止められたそうだ。が、収益などほとんど望めぬ店であっても、「祭や」がヨッシー心の支えである。

 私とは、なにからなにまで逆だ。親がかりで大学に通い、進路決定も職業選択も親の意見は容れず、身勝手好き放題を尽してきた。心許せる仲間たちにさえ、アイツ大丈夫かと、心配をかけた。一歩間違えればどうなっていたか、という場面は何度かあったものゝ、それは後年さよう回想するに過ぎない。当時はたゞ、あるかないかも判らぬ将来の幻想を想い描いて、意地を通して生きた。
 気づけば五十歳目前。捨てる神あれば拾う神もあり。こんな生きかたを通したこれほど不出来な男も珍しいし、若者にとっての反面教師ということもある。箸にも棒にも掛らぬ若者の話し相手に真向きということもある。というので、大学に雇われた。

 ヨッシーが身をもってよくよく知っていることを、私はほとんど知らない。私が本気で考えてきたことは、ヨッシーにとっては、どうでもよいことばかりだ。
 だからどこかしら、馬が合う。

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 コロナ明け新装開店の「祭や」では、扉を入ると、ヨッシー長年の秘蔵コレクションであるフィギュアたちが、出迎えてくれる。奥には未開封の名品(らしい?)の箱がうず高く積上げられている。収納スペースの限界もあるので、ネット・オークションに出そうかとも思うが、売れてしまうのが惜しいというのが、目下の深刻な思案だという。
 私には、さっぱり解らん!