一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

手札

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 かく申す私も、無難で安上りということか。

 銭湯のいゝところのひとつは下足場だ。履物入れの小棚が無雑作に並び、それぞれ扉には薄ぺらいポケットが貼り付いていて、番号が振ってある。各ポケットには同じ番号の手札が差してあり、この手札がない番号は現在使用中である。
 手札の下部には切れこみが入っていて、鍵になっている。原始的な仕掛けのようでいて、番号違いのポケットに差してみても、けっして扉が開くことはない。

 なにごとも新式がいゝとばかりは限らない。この下足場を小賢しく改良してしまったお洒落な共同浴場など、私には好ましからざる猿知恵に見えてしかたない。
 なにが好ましいかと申して、店の前に立っただけで、中が混んでいるか空いているか、ひと眼で見当がつく。縁起の良い番号や自分のラッキーナンバーを探す愉しみもある。ひそかに自分の番号を決めてある。あいにく使用中だった場合の第二志望・第三志望まで、決めてある。

 盛んに銭湯を利用したのは、我が家が風呂付きの家に引越すまでだから、昭和二十九年から三十年代前半へかけてのことだが、この下足札の仕掛けは、その頃も今も変っていない。ただし、当時は木製だった手札が樹脂製となってしまった。少々残念な気がする。
  木製の手札を、浴槽に浮べて遊ぶのが、大好きだった。
 木製だと傷みやすく、擦り減って鍵の役割を果せなくなったりすることがあるのだろうか。また現在の技術では、木製より樹脂製のほうが、安上りなのでもあろう。

 湯殿の洗い場で顔見知りとの会話に興じる人の姿も、めったに視なくなった。黙々と身を清め、湯槽にて心身の健康を回復させている。
 めっきり冷えてきましたなぁ。どうです、ご商売のほうは。お聴きでしょうけど、町会長さんとこのワン公、とうとう死にましたよ。駅前の喫茶店、汁粉も出すことにしたそうです。お稲荷さんの掃除当番の順番が、また変るんですって。マンションの外国人が嫌がるらしいですなぁ。

 町内の文化史・文明論の伝播が途絶えた。タイル壁一枚隔てた向うでは、女性たちが経済学や教育論をやっているに違いない。そっちも途絶えがちなのだろうか。由々しき事態と云えなくもない。
 外務大臣の名など知らなくても、芥川賞なんぞ知らなくても、天候とキャベツの値動きの相関を先読みできれば、賢く健全に暮してゆける。

 文学のみならず芸術全般、こゝが肝心なところだ。安藤昌益は囲炉裏端にどっかと座を占めながら、薪や灰や、火箸や五徳や、鉄鍋や自在鉤を使って、世界を表現できた。じぃっと視詰める力が、どれほど凄まじかったのだろうか。

 かく偉そうに申したところで、私も銭湯ではほとんど誰とも会話しない。たまに顔見知りを視掛けても、右手を差上げて軽く会釈する程度だ。

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