一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

カケガネ

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 門扉のカケガネが合わない。我が家の下、地中では、なにが起っているのだろうか。

 夜の音に、じっと耳を澄ませて過すことがある。真夜中は深閑として音もないなどというのは嘘で、じつに多くの音が聞えてくる。夜間ならではの音というわけでもない。昼間も音は鳴っているのだろうが、気づかずにいるだけだ。

 自動車が通る。日昼であれば聴き過しているのに、軽自動車かトラックかまで区別がつく。
 筋向いのマンションのどこかの部屋から、外国語の夫婦喧嘩が聞えてくる。この時期はめっきり少ないが、温かい季節には窓を開け放しているものか、頻繁かつ派手だ。
 裏の児童公園のベンチからも、声が届く。酒気帯びの高笑いもあれば、携帯電話の長話もある。外国語の通話も混じる。
 隣接するコイン駐車場には、仮眠または休息のかたでもあるのだろうか、夏は夏なり今は今なりにエンジンかけっ放しの音がする。早朝五時に出てゆくトラックや大型のバンなど働く車たちには、前の夜から泊り込むドライバーさんもあるらしい。
 いずれも地域社会の、人間生活の音だ。

 家内の音も、深夜は耳につく。旧式の冷蔵庫は突然びっくりするほどの音をたて、しばらくしてやむ。足温器サーモスタット効果で時どき鳴る。電気ストーブも鳴っている。エアコンというものを放棄して何年にもなるが、エアコン対ストーブ・足温器連合軍とでは、音の面ではどうなのだろうと、埒もないことを考えたりする。昼間は気づかぬ掛時計も、意識して聴くと鳴っている。いずれも正当な理由ある、生活機器の音だ。

 強い風が吹いてくると、裏口の扉がガタつく。外では門扉もガタついて金属音をたてる。あっちもこっちも、わずかづつ寸法がずれて、噛合わせが甘くなってきているのが判る。
 得体の知れぬ音に、気味悪くなることもある。乱雑に積上げられた書籍や書類などが、不自然な重心に耐えかねて、わずかに滑ったり崩れたりするらしい。明日出す予定のゴミ袋や、近日ランドリー行きの洗濯物袋が、音をたてることもある。
 いずれも音量としてはかすかなものだから、昼間であれば気づかずに過ぎているのだろうが、深夜にあっては妙に驚かされる。

 家が鳴る。これは怖い。内装の木材の継ぎ目がきしむのだろうか。壁がわずかにたわむのだろうか。それとも柱がゆがむのだろうか。六十三年前、川岸だったこの辺りの土地は緩やかに傾斜していたのを、盛り土して整地し宅地化した。名残で、拙宅と街路には今も、わずかながら高低差がある。
 地中では六十三年間、いかなることが進行してきたのだろうか。植物たちが根をはびこらせ、毎年水分養分を吸上げては枯れていった。ミミズや土蜘蛛はじめ地中動物たちや微生物たちは、絶え間なく活動し続けてきた。その結果、現在の地中組織と成分とは、どのようになっているのだろうか。空洞でも、できていなければよいが。

 何年も前から、かすかな地盤沈下やひずみが露わになってきている。
 そこへもってきて、隣近所は時ならぬ解体ブームであり、普請ブームである。東京都の耐震・防災計画の一環としての、道路拡幅事業だという。お上にとっては耐震・防災に違いあるまいが、近隣地主さんがたにとってはビジネスチャンスだ。たとえ再開発に直接関わっていない土地であっても、将来の町内地図を念頭に、資産価値を高める構想へと走る。

 私は未来になにを残そうでもない。人並み以上に裕福な老後を送りたいわけでもない。中の下か、下の上の最期で結構だ。
 取残されたボロ家は、ひずみの進行を加速している。今年から、門扉のカケガネがはまらなくなった。