一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

師の申さく

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窪田章一郎(1908‐2001)
『窪田章一郎全歌集』(短歌新聞社)口絵より切取らせていたゞきました。

 棋士たちは、師匠から日常頻繁に盤を挟んで手ほどきを受けつゝ、成長してゆくわけではないという。入門時に顔合せをかねて、棋力・棋風を診ていただくために一局。一人前の棋士として巣立つときに、お祝いとして一局。それらを含めても、せいぜい数局だそうだ。

 入学五年目にして三年生になった夏ごろ、卒業論文は窪田章一郎先生のご指導を仰ごうと決めた。やがて志願の時期が来て、ご研究室へ参上した。西行で書いてみたかったが、なにせ眼の前の師は日本一の西行学者だ。あまりに畏れ多いとなれば、慈圓あるいはその他の新古今歌人で。心づもりといっても、いゝ加減なものだった。
 「そういう新しいところは、卒業後に自分独りでも読めるからねぇ。学生でいるうちに、できるだけ遡っておくほうがよろしいんだが」

 チッ、新古今を「新しいところ」って云われちゃったよ。度肝を抜かれて退散してから数日後、もう一度参上した。
 「萬葉前期、たとえば人麻呂で書いても、先生に提出は可能でしょうか。ご指導いたゞけましょうか?」
 上代を扱って根回しなしで提出すれば、まず山路平四郎先生か武川忠一先生へと割振られる。両先生ともご講義を拝聴していたし、尊敬申しあげてもいたが、こゝはなんとしても窪田先生に付きたかったのである。
 「それは、私でよければ、読みますけれども」
 「(シメタッ!)では是非そうさせていただきたく存じます」

 留年古参学生の強味で、最終学年に取得すべき単位など、ほとんど残っていない。我流ながら読む時間はふんだんにあった。読むほどに、萬葉は闇を深めた。じつに面白かった。ちいさな疑問が、とてつもなく巨大な難問に思えてきて、身動きがとれなくなったりする。停滞足踏みし、グロッキー状態となって息も絶えだえ。助けを求める気持で、師を訪ねた。
 正門から研究棟へは坂道を上るのだが、足が重い。

 「人麻呂と他の萬葉歌人とのあいだには、根本的な相違があると見えてしかたありません」
 「そうでしょうねぇ」
 「えっ?」
 相当挑発的な暴論をぶつけて、師から多くの解を引出そうとの心づもりだったのに、あっさり同意されて拍子抜けというか、面喰った。
 「時代の推移、用字・用語の変遷、技法の相違などは、ことごとく注釈書にて解明されておりました。賀茂真淵佐佐木信綱や、お父上窪田空穂先生の註釈に歴然としておりました。ですが人麻呂と、後年のたとえば山上憶良との歌のスケールの違いは、解明されません。先生、なにがこうも違うのでしょうか?」

 この不出来な学生に、どう云って聞かせたら解るだろうかというように、師はしばし黙された。
 かなりの頻度で、タバコを喫むかただった。といっても二服、多くて三服吹かしてはもみ消される。大型の灰皿に、長いまゝの吸殻が菊花模様のように丸く並んでいた。
 たおやめぶりと申そうか、物柔らかに、やゝ女性的な言葉遣いをまじえて話されるかただった。にも拘らず、息詰まるほどの存在感があった。窪田空穂のご長男で、物心ついたときから、土屋文明だろうが折口信夫だろうが、父と同じ学者歌人のオジサンと視て育った人だ。
 「歌心(うたごころ)が違うわけねぇ」

 たったそれだけ? この数週間、組上げてはご破算にしてきた我が思索と仮説のあれこれは、いったいなんだったのか。
 「歌心かぁ……」
 ほとんど気もそゞろで、正門への坂道をふらふらと下った。

 数か月後に、また難問が出現した。かなり逡巡した揚句、師を訪ねた。
 「巻●の●番は、古来名歌とされ、遠く離れた巻●の●番は、他の人麻呂歌と一緒に、屑籠にまとめられたような扱いです。情景は同じ、詩情も同趣、用字・用語も似かよっております。同時に、もしくは相前後して詠まれた歌と思えてなりません」
 「そうでしょうねぇ」
 「えっ? でしたら先生、一首は目立つ位置に置かれた名歌、もう一首は屑籠。どこにそれほどの差があるのでしょうか?」
 このときも師は、タバコに火を点けられた。
 「調べ(しらべ)が違うわけねぇ」

 「調べかぁ……」
 この日も私は、ふわふわした気分で、坂道を下ったのだった。

 私が師から対面でご指導いたゞいたのは、初めの志願面談を除けば、都合三回に過ぎず、うちの二回が、「歌心」と「調べ」である。
 パイドロスのように、ソクラテスから膝詰めで懇々と教わる機会はなかった。だからでもあるまいが、その後も何十年か遠回りした。ずいぶん手間が掛った。
 今は解る。いや、師の仰せのごとくにではあるまいが、私流に解る。歌心が断然違う。調べがかなり違う。一目瞭然だ。ほかの云い表しようは、ない。

 「歌心」と「調べ」たった二語か。なんぞとおっしゃるかたは、文学には不向きである。私にとっては、師から授かった巨きなご恩であり、その後長く私の根幹を支えてきてくれた珠玉の財産だ。多くの学生がお慕いする人気教授であられたが、私ほど貴重なお教えをいたゞいた弟子が他に何人あったことかと、密かに己惚れている。