一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

卒業

f:id:westgoing:20211203182133j:plain


 私は押しかけ弟子だった。師にとっては、招かれざる客だった。私を、弟子などとは思っておられなかった。

 東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡(巻一、48)柿本人麻呂
 ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれは月かたぶきぬ
 (賀茂真淵『萬葉考』による。今日スタンダード化している訓。)

 犬が西向きゃ尾は東、みたいな歌だ。この一首にこだわって百五十枚ほど書き、卒業論文として提出した。たった一首と云うなかれ。それくらいの手間は当然かゝるのである。
 まず訓を確定しなければならない。諸家は白文(原文)をどう読んだか。
 「東野のけぶりの立てる」「ひむがしのけぶりの立てる」「はるの野のかげろふたてる」「あけがたにけぶりのたてる」。初二句だけでも、いろいろ出てくる。末尾だって、当然ながら白文に忠実に「月西わたる」もある。
 契沖は荷田春満は、賀茂真淵本居宣長は鹿持雅澄は、そして近代の学者や歌人たちは、この白文をいかに読んだか。窪田空穂は斎藤茂吉は、折口信夫土屋文明は。さらに現代の学者たち、中西進伊藤博はどう読んでいるか。それぞれ面白半分に読んでいるわけではない。学問的体重をかけた理由があっての訓である。それらを吟味して、自分が納得のゆく訓を確定しなければならない。

 私の関心は「かへり見すれば」の一句にあった。古事記書紀の挿入歌に「反見」の用例は一例もない。当然だ。神々の言葉で書かれてあるのだ。というか、神々がのり移った語り部によって、語られた言葉である。まったき叙事叙景であって、個人の感懐など含まれようはずがない。
 ところが萬葉の最終アンカー大伴家持ともなれば、「見ればかなしも」。宇宙・自然は身の外にあり、それに触れて心の内に生じた波立ちが歌である。六歌仙の時期をほんのひと跨ぎすれば、王朝短歌世界である。
 この間になにが起ったのか。なにが発見されたのか。業界用語に云うところの、「個の自覚」の問題だ。

 萬葉中に「かへりみ」が幾例あるか、洗い出した。さほど多くはない。どう使われているか。過去を振返る。またもやって来て思い出にふける。そればっかり。首をひねって背後を振向いた、もしくは百八十度方向転換して逆方向を眺めたというような、身体的行動としての「かへりみ」は、巻の一、四十八番、これ一首きりだ。ほかにはない。

 午前中の原っぱに、男が独り立っている。今日も暑い日になるぞぉ、東に陽炎が立ち始めているぜ。振返れば西の空に、まだ月が残っている。胸の裡に、どんな想いが湧いていたのだろうか。
 天地宇宙が、俺の眼に見える。神々に歌ってもらわなくたって、俺の肉眼で捉えることができる。神々と比べたら、そりゃチンケだろうさ。取るにも足らないだろうさ。でも俺自身が視て、感じてることだからなぁ。他人のことじゃなく、俺一人のことだからなぁ。
 とんでもないものが、見え始めようとしている。乱暴に申せば、そこから近代詩までは一直線だ。(距離は遠く、途中あれこれあったけれども。)

 人麻呂歌によって人は、神々の庇護のもとを離れて、自分の気持を詠う道を拓いた。と同時に、神々の憑依によって天地万物を詠う、資格も能力も喪った。
 とまあ、そういったようなことを、青臭く力説して、卒論にしたわけだったが。

f:id:westgoing:20211205135303j:plain

 パソコンどころかワープロすらない時代だから、あたりまえだが万年筆手書き。書き損じたら、原稿用紙その一枚を反故にするか、升目に沿って切った紙をのりで貼って、書き重ねるしかない。原稿の束を文具店に持込み、製本屋に依頼。二つ折りしてクロス装の上製本にしてもらって、提出する。

 さて師によるご講評。「歌心」と「調べ」とに続く、三度目のご指導である。その年師への提出者七名が一同に、研究室へ招じ入れられた。私以外の六名は女子だ。全員の前で一人ひとりご講評を伺いながら、返却していたゞく。
 枕草子蜻蛉日記建礼門院右京太夫藤原定家……ま~王朝文学。紅茶とクッキーを間に、といった空気。(もちろん出なかったが。)心なしか師も、タバコが少なめだ。五名が済んで、残りは二篇。私と、隣の無口な女性。

 彼女の名が呼ばれた。まん中から分けた髪を無造作に肩まで伸ばした、いわゆる化粧気のない女性で、顔を覗き視たわけではないが、ソバカスが売りといったタイプだ。
 返却された論文が部厚い。それまでの五名の論文は華奢で、回覧板が手渡されるように返されたが、彼女のは前にドンッと置かれる感じだった。まず二百五十枚を下ることはあるまい。和泉式部日記! なんだとぉ、そんな処へ入っていったのか。

 ――これねぇ、目次がないんだねぇ。そう思って読み始めたら、章分けもされてないねぇ。いろいろなことが、まとめて書いてある。整理して、章に分類して書いたら、もっと解りやすかったねぇ。
 本人は「はぁ、目次ですかぁ。気が付きませんでした」というような、意外そうな面持ちだった。
 彼女が扱ったのは、親から勘当されてまでの恋愛相手に死なれ、寄る辺なき身だった主人公が、次なる恋人との歌の往来と、あけすけに性愛場面まで吐露する、我が国王朝文学上の大問題作だ。これを思うまゝ感じるまゝ整序無頓着に、二百五十枚もザーッと書き通してしまったのだろう。なんて女だっ。
 後にも先にも、彼女と同席したのはその一回だけで、顔も名も記憶していない。私とは別な意味でだが、彼女もやはり場違いな存在だった。しかし卒論という言葉に接すると、彼女はその後、どういう人生を歩むことになっただろうかと、今でもふと想うことがある。

 ――最後に、柿本人麻呂論なんだけど……。皆さん観てこれ。最後まで、字が揃ってるの。
 我が論文は、ぺらぺらとめくられながら、一同に回覧された。
 そりゃ、清書に時間かけたさ。気を入れて書いたさ。だからって、ソコかよ。
 私は生れついてより指先が不器用だ。文字を書くのも遅い。筆跡も、中学生のまゝだ。
 たゞし、だが、つまり、私は文字をのろのろ書くことで、大学を卒業したのである。