一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

木琴ちゃん

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京都橘高校吹奏楽部(ローズパレード2018)

 信ずる者は救われる、か? それとも、知らぬが仏? う~ん、そうだっ、馬鹿は死なゝきゃ治らねえ、これだな。

 今夜はもう言葉が出てこないから、一杯飲んで寝ちまおう。冷蔵庫を漁って、キッチンドリンキング。それでも寝そびれることがある。そんなとき、京都橘高校吹奏楽部(通称オレンジの悪魔)のユーチューブ映像を観返すことがある。
 全日本高校マーチング・コンテストでの整然たる演奏も、京都市内の催し物における地元感ふんだんの行進も悪くはないが、ちょっとだけ観て寝ようというなら、やはりローズパレードだろう。2012も懐かしいが、入門編となれば2018だ。
 沿道のアメリカ人たちを熱狂させ、拍手と歓声はパレード全参加者のうちで最高と評された。全米ネットのテレビ中継では、アナウンサーが「アンビリーバボー」を連発した。

 高校生による吹奏楽およびマーチングの全国レベルは高い。強豪と聞える橘だとて、毎年好成績というわけにはゆかない。が、街路へ出れば、そりゃあ橘である。トラックよりロードに強い、マラソン資質のランナーみたいなものだ。
 橘伝統のステップ、いやダンスを踊りながらの演奏だ。金管奏者の唇からマウスピースがずれないのはなぜか。リードを銜えた木管奏者が前歯を折らないでいられるのはなぜか。演奏経験をもつ人に訊ねても、あんなこと不可能だとの答が返ってくる。

 ことにローズパレードは全行程五マイル半。九キロ近くだ。トロンボーンバリトンサックス、スーザフォンなどは、かなり大きな金属の塊である。あんなものを手に持ち首に掛けて、歩き切ってしまう高校生たちって、なんなんだ。それ以前に、行進して踊って演奏して、あの高校生たちは、いつ呼吸をしているのか。

 京都橘の動画に対しては、世界中の視聴者からコメントが殺到している。だいたい動画を上げている投稿者の多くが、日本人ではない。
 カリフォルニア州パサデナには、知っている日本のものといえばトヨタソニーと、ニンテンドータチバナと答える庶民が、きっといる。さながら民間外交使節だ。

 顧問とコーチの先生がたはおっしゃる。
 「振付けはすべて生徒たちに任せています。あれだけ踊って跳ねるということは、空中で出している音もあるはずで、普通はそんなことできるはずがありません。たゞ先輩たちはやってきたし、現にできている先輩もある。ということは自分にもできるはずと、信じているんです。騙されやすい子たちというか、そんなことできるはずがないと、気づいてないのです」
 それだけであるはずがない。なまじの運動部など太刀打ちかなわぬほどの、練習があることは、いくつもの密着取材が明らかにしている。むろんだ。
 だがそのほかにも、限界への挑戦、と云っては手垢まみれの月並表現になるが、教育の意味とか、伝統の価値とか称ばれるべき、心法に関わるなにかが、そこにはある。

 重度の胃潰瘍を患って、余命いくばくもなしと医者から申し渡された尾崎一雄は、それならばと郷里足柄に引込んで、生存五か年計画を立てゝ養生専一に過した。
 その間に、床に腹這いになって枕元の原稿用紙に少しずつ書き進めたのが、名篇『蟲のいろいろ』である。蜘蛛と蜂と蠅。寝たきりの暮しでも眼にできる虫たちをつぶさに観察して、命の理(ことわり)を考えた、オムニバス三章。昭和文学第一級の傑作短篇だ。
 ある小さな蜂は、躰の構造や翅の面積など、昆虫学者がどう計算してみても、飛べるはずがない。だのに飛んでいる。さんざん研究した果てに学者が出した結論は「その翅とその力では、とうてい飛ぶことができないということを、その蜂は知らない」というものだった。

 生きられるはずのない自分が、いかにして生きるかの心構えについて、尾崎一雄は考えていたわけだ。生存五か年計画は達成された。医者も家族も信じがたい想いだった。第二次五か年計画を立てた。それも達成した。尾崎一雄は『蟲のいろいろ』からなんと三十五年生きて、最期まで作家だった。

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 彼女は「木琴ちゃん」と称ばれて、多くの、しかもコアなファンをもつ部員である。「今後将来にわたって、もし木琴ちゃんを泣かせるような奴が現れたら、この俺が許さない」なんぞというコメントが、いくつも書込まれている。
 外務省からカリフォルニアへ派遣された外交官に、この少女ほど日本の好感度アップに功績あったかたが、はたしていらっしゃったのだろうか。