一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

海王星

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独居老人冬ごもり籠城戦をひかえ、兵糧続々届く。

 ほんの数歩違えば巡り逢えたのに、というようなすれ違いメロドラマが、昔ずいぶん流行った。このところ、人と人との出逢いもさることながら、生きてる自分と死んでいった者たちの違いはどこにあったかと、考え込む機会が増えてきた。

 
 郷里の親戚から、大好物の保存食詰合せの、ご恵贈に与る。ありがたし。
 なにせ米どころだ。ということは文化伝統的に麹にはうるさい。ひいては酒にも味噌にも、独特な自信をもつ地方である。野菜類の味噌漬が届く。いずれが美味いかというようなせっかちな噺をする気はないが、東京のものとはひと味異なる。

 また海に面した市だ。漁港にも隣接する。日ごろあまり視かけぬ加工品が、いくらでもある。魚卵の塩辛は、文字どおり塩が強い。生臭さも強烈だ。苦手な人が続出する。癖が強いほど美味い。たゞし高血圧者は摂り過ぎに注意だ。
 鱈の身とタラコとに昆布と生姜を合せて、甘酢に漬ける。読んで字のごとく「鱈の親子漬」。保存食がごとくに仕上げてはあるが、開封してしまえば、アッという間になくなる。
 日本海の「もぞく」は太平洋の「もずく」とは、まるで別物かと思うほどに、黒々と太くて野趣に富み、噛めばプツプツと歯応えがある。「もぞく」を先に知っている者が「もずく」を口にすると、この得体の知れぬ軟弱な草は何だ、キンギョモか、と思う。

 こういうものが身近にあるから、私が炊く粥や雑炊には塩気が乏しい。下味や出汁加減には注意するが、惜しむらくはこれに塩気さえ加われば美味いのだが、という仕上げにあえてしてある。惣菜を加えて、ちょうどになるという寸法だ。

 お贈りくださった親戚は、私と同齢だが、系図上では母の従弟に当る。戦前の家族事情や結婚事情では、まゝそういうことも起りえた。たとえば家の事情で長女が早く嫁いで子を設けたのに、齢の離れた妹は外地に暮した揚句に戦争の影響で晩婚となった、というような。だが時が経てば、現在のご当主と私とは、系図の序列など無関係にお付合いさせていたゞいている。

 数日前に、米・餅・蕎麦をお贈りくださった若い親戚は、他界した従弟の息子さんだ。生前親しくしてしてもらった、まことに人柄の好い従弟とは、愉しかった思い出ばかりがある。その人柄を反映してか、未亡人も長男・長女も、気立てのさっぱりした人たちで、とくに疎遠となるきっかけなど見当らぬまゝに、お付合いさせていたゞいている。

 たんに系図上でということになれば、もっと近しい関係であるにもかゝわらず、冠婚葬祭のみの形式的付合いとなってしまっている親戚もある。不思議だ。しかし考えてみれば、当然とも云えそうだ。
 ご兄弟の多いかたに伺うと、長じるにつれて、あの兄とこの妹は足繁く往来していても、あの弟とは疎遠になっているとか、あの姉だけは誰からも離れているとか、どちらのご兄弟にも、付合いの粗密が生じるものらしい。二組に分れている場合もあるという。
 気性や美意識の相性だろうか。職業や社会的立場の一致・不一致だろうか。配偶者含めての関係だろうか。あるいは人生流転のうちに生じた、込入ったこだわりあってのことだろうか。兄弟のない私には、想像つきかねる。

 我が親戚圏についても、私はフーテンの寅さんがごとくに、「どちらのご家系にも一人はいる、変り者の困ったオジサン」だったから、親戚全体を視渡せる視野を持合せない。海王星から眺めていては、太陽系の視晴しがよろしくないのである。たまたま近くにやってきた土星と、時おり噂噺を交換する程度に留まっている。
 ところがこゝへきて、昔を知る者が減ってきたとかで、今のうちに若い者へ話しておけと云われるようになってきた。俺の出番じゃないと、お断りしてはいるが。

 さてこうして集ってきた、冬ごもり籠城戦の兵糧群を眺めていると、もう少し生きていてもかまわないのかな、という気も起ってくるから不思議だ。
 逢えた人、逢えなかった人。もう一度逢いたかったのに実現しなかった人。二度と逢いたくもない人……。冷蔵庫はとりあえず、一杯になった。