一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

云いぐさ

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 選挙に勝った政党は、我が主張が正しかったとおっしゃる。負けた政党は、有権者への説明に残念な手抜かりがあったとおっしゃる。勝ったら内容、まけたら技術。勝ったのは俺の手柄、負けたのは不運のせいだ。人間とは、そうしたものだ。

 日記を付ける習慣をもつことなく、この齢まできた。そんな私でも、ひょんなきっかけから、日々の記録を書き留めた経験が、まったくないわけでもない。動機が不純と申すべきか、敵は本能寺みたいな理由から始まった。近年(この二十年)で、期間の長さの点でのベストスリーを掲げると。

 第三位はこの「一朴洞日記」だ。始めた理由は三つ。第一は生存確認。ふいの入院騒ぎを起したことがあって、知友にあらぬご心配をおかけしてしまった。アイツ最近、SNSの投稿・反応が途絶えているが、ともすると陋屋で独り、干乾びてでもいるのではあるまいかと、知友間に情報収集のメールが飛び交ってしまった。面目次第もない。
 理由の第二はボケ防止。何足か履いていた草鞋の最後の一足も定年となり、おりしも疫病蔓延による行動制限。唯一の運動機会にして健康法でもあった古本屋歩きも、自粛の憂目。このまゝではボケるにまかせる仕儀とならざるをえない。なにかしらの日課が必要だった。三日に一度くらい書いておけば、人さまにご心配をおかけすることもあるまいから一挙両得と、気楽に考えて始めた。
 さて行動開始するにさいして第三の理由。べつだん実名を憚るほどの身分でも身の上でもないが、このさい号のほうを宣伝しようと、俳号から「一朴洞」を名乗った。FB.もtwitter.も実名登録だから、どうでもよろしいのではあるが。
 ちなみにユーチューブのほうは表題を「隠居夜咄」とした。元教え子さんやお若い友人たちに対しては、「椎名町隠居」と名乗るようにもなったからだ。
 ともあれさように、さしたる深慮なく切実でもないきっかけから、八か月続いてきたのが、このブログである。

 期間第二位。食事日記。在宅介護の後期、週二回は父をデイサービスに預ける必要があった。施設との間に「連絡ノート」が発生する。それ以前も、食事摂取量と品目、血圧と体温、排泄の回数と量などをメモしておく帳面を作っていた。そこへ施設との連絡ノートが発生しては二度手間だ。詳しいのは私の帳面。体裁の完備しているのは施設のノートである。施設には申し訳なかったが、合体させてもらった。
 施設から求められる必須データより数倍もの量の、細かないちいちを、すべて書き込んだ。ソコマデ要求シテネエヨと、思われたことだろうが、施設は黙っていてくれた。

 父歿後も、それを自分一個の食事日記として、しばらく継続した。今パラパラ観返すと、俺の献立には、変り映えがねえなぁ。たゞ肉や魚の選択には、かなり変化もある。生野菜だのサラダだの、今ではありえない品目も混じる。油の量も、揚げ物の機会も、減っている。が、煮物や保存食の味付けなどは、今とほとんど変りがない。添物である漬物だの佃煮なども、おゝむね似かよっている。
 が、一回目の入院騒ぎを機に、食事日記は途絶えた。

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 継続期間第一位は、データ記録帳だ。正確には日記と称べまい。日付・曜日のほかには、起床直後の体重・体温・血圧・心拍数、それに睡眠時間といった、数字だけがたゞ延々と並ぶだけの、すこぶる不愛想な帳面である。しかしこれが基礎データとなって、日々推移・週推移・月推移、さまざまなグラフを起せる。
 入院中から準備して、退院後に付け始めた。二度目の入院中には、看護データで埋めた。
 百均ショップで三冊百円の小ノート一冊で、七か月ほどは記入できる。五年続いている。今日のデータも採れている。これら基礎データから、推移表やらグラフやらを起す作業こそ、パソコンに真向きの作業だが、今のところ私のボケ防止手作業のまゝだ。

 じつは今日書きたかったのは、そんなことではない。血圧計の電池交換の潮時の件である。電池切れ間近となると、測定器がぶれやすくなるのか、数値が定まるのに時間が掛るようになり、数値自体もよく動く。が、根っからの貧乏性ゆえ、保つあいだはギリギリまで保たせて使いたい。
 血圧は、暑い季節には低く安定し、空気が冷たくなると上昇する。そこへもってきて、全裸で体重計に乗ってほどなく、体温計を腋に挟むことをも兼ねて、まだ片肌脱ぎの体勢で計測する。ちょいとした加減で、数値が動きやすい。

 今朝は数値がよろしい。体調が好い証拠だ。今朝は数値が馬鹿に悪い。血圧計がいよいよ電池切れかしらん。
 人間とは、そうしたものだ。選挙参謀の云いぐさも、理解できぬではない。