お隣ご近所だの、向う三軒両隣だのといった語には、年寄り臭い響があると思われがちだが、あながちそうでもない。むしろ年寄りは、ご近所から孤立している。
♪とんとん とんからりんと 隣組
格子を開ければ 顔馴染
廻してちょうだい 回覧板
知らせられたり 知らせたり(岡本一平作詞、昭和15年)
メロディーの軽快さ・明るさが心地よかったものか、戦後になっても、口ずさむ人は多かった。私も耳で憶えている。お若いかたには、ザ・ドリフターズの番組オープニング曲のメロディーと申しておこう。
♪どんどん ドリフの 大爆笑
である。これが替え歌だと、私は判る世代だが、原曲の記憶がない世代のかたであれば、「あれぇ、ドリフの唄って、昔からあったんじゃないか」ということになろう。さらにお若い、ドリフってなによ、とおっしゃるかたがたは、もう私の担当ではない。どうにでもなさってください。
大政翼賛会の最下部末端単位としての隣組制度は、前年に準備され、昭和十五年に敷かれた。制度を迅速に効率よく浸透させるための啓蒙PRソングとして、同年六月にNHKラジオ歌謡として発表された。
作詞は人気の風刺漫画家で、ユーモア随筆(漫筆)にも才を発揮していた岡本一平。「芸術は爆発だっ」の岡本太郎画伯の、お父上である。これまた岡本太郎ってなによ、とおっしゃるかたがたは、私の担当外である。
戦時体制を整える目的で、国民の質素倹約意識を高め、互助精神をつちかい、連絡網を省力整備し、そのうえ住民相互に監視し合う習慣によって防犯や思想統制に役立てようとした、まことに為政者都合の制度だった。
江戸時代の五人組制度を参考にしたと云われるが、そうとう頭の切れる、統治アイデアに秀でた官僚によって、制度設計が工夫された模様だ。
一番が回覧板。二番が垣根越しに味噌醤油の貸し借り、つまり生活細部における運命共同体化である。そして三番。
♪とんとん とんからりと 隣組
地震や雷 火事泥棒
互いに役立つ 用心棒
助けられたり 助けたり
防犯・防災といえばもっともらしいが、要するに目配りして油断するなということだ。相互監視の奨励である。庶民にとっては、どうにもお節介で窮屈なお触れだ。
が、そこが日本人だ。不満を胸底に押込めて窮屈を忍び、慣れ、やがて使いこなして、そこにやり甲斐も生甲斐も見つけ出していった。お隣りへちょいとひと声。お向うでおしたじ借りといで。お留守中に降ってきたから、洗濯もん取りこんどいたわよ。ちょいと回覧板を渡しに寄っただけのはずが、娘の縁談相手の聴込み調査にまで発展してゆく。
八十年経って、そういう習慣はようやく薄れた。回覧板なんぞ、近いうちに「一斉送信」にとって替られるはずだ。どう視たって、前世紀の遺物だもの。
だが回覧板より先に、すでにお隣ご近所が消失している。どなたがいつ、ワクチンを射ったかなど、伺ったこともない。あそこのお婆ちゃん、こゝんとこ視掛けないと思っていたら、あらやだ、三か月前にお亡くなりになったわよと、ひょんな機会に別の筋から教えられたりする。
子どもを学校へ通わせる親同士関係、昼間の喫茶店か夜のカラオケで集まる遊び仲間関係などがなければ、ご近所とのお付合いもない。となれは、子も孫もなく、唄も歌わない老人に、ご近所付合いの機会はない。
拙宅両隣は、片方がコイン駐車場。もう片方は緑色の金網で囲われた「道路建設予定地につき立入り禁止・〇〇公社」だ。向う三軒は、マンション二棟とかろうじて拙宅同様の老人家庭が一軒。半生記以上にもわたる知合いではあるが、日常のお付合いがあるというほどでもない。
前世紀の遺物、回覧板を回すことでもなければ、ご近所さんと会話する機会もない。