一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

冬支度

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 ♪雪を蹴りぃ 金がない~
 ソリは行くぅ 金がない~
 ジングルベェル ジングルベェル 金がない~
 今日は楽しい 金がない オゥッ!

 家庭持ちたちが「お先に」していってしまったあとに残された、独身で彼女もなく行き場もない、零細出版社の社員たちが、酔いつぶれる直前に、ヤケクソ気分で暴力的にがなり立てたクリスマスソングだ。
 たいていは二人で掛合いのごとくに歌うから、一人ははなから仕舞いまで「金がない」ばかりを歌うことになる。どういうものか、だれもが担当したがるのは、雪を蹴るほうではなく、「金がない」を繰返すほうだった。

 十二月に入って早々、著者や先生がたを最優先に、忘年会が続く。広告代理店や新聞・雑誌社、印刷所や製本屋や、紙屋やビニール加工屋、校正マンやカメラマンや、デザイナーやイラストレイターたちとの、忘年会が続く。
 ぎっしり予定が入っているのが有能社員だった。より多くの会から声を掛けられ出席を要請されることが、業界内での顔の広さのバロメーターだった。手帳のカレンダーに余白があれば、だれか飲み漏らした人はないかとチェックした。

 クリスマスともなれば、取引先との忘年会はほゞ山を越え、社内の同僚か相棒か、さもなければ個人的友人を残すのみとなる。寝不足続きの果てに、例外なく腹を壊していて、根性々々と自分に云い聴かせながら、連日酒を飲んだ。
 労働生産性など、考えてみたこともなかった。概念も定義も、知らなかったと思う。未開で獰猛だった、我が働き盛り時代……。

 久しぶりにパスモを使って、池袋へ出る日だ。買物を一気に済ます算段。こゝだけは物忘れしてはならじと、昨日のうちに必須要件と件数・品目・おゝよその予算を、メモ用紙に書出しておいた。
 まず我がメインバンク巣鴨信用へ行き、暮れ正月予算を三菱UFJへ移す。三菱ATMへ移動して、本日分を引出す。経費の流れが通帳に残るよう、無駄手間をかけるわけだ。

 百貨店の名店街は、季節の買い物客で混雑していて、「行列末尾」と大書したプラカードを掲げる店員が、あちこちに見える。が、私が取引きする店には、そういう店員は必要ない。フロアに閑古鳥が鳴くときにも、客が皆無ということはないし、逆に季節だからといって、捌ききれぬ客が押し寄せて行列することもない。今日は鈴屋・今半・両口屋是清で買物するつもりだ。いずれも客層が安定している。

 買物を済ませたら、まずは金剛院さまへ。今年最後のご挨拶と墓参り。水と線香をいたゞき、ご本尊には鈴屋をお供えする。銀座の甘納豆屋による「栗づくし」だ。
 仏前には和菓子と、以前は私も慣わしを踏襲していた。ところがある年、お寺さんの娘として育った、孫ほど齢の若い友人が教えてくれた。「彼岸や盆暮れには、甘いものばかりを必死で食べ、太ってしまう。ひどい場合は躰を壊す」と。
 以来考えを改めた。仏様には好き嫌いなどない。ナマグサを辞されることなどもないだろう。仏前からのおさがりが、お寺さんご家族のお役に立たずばなんとするか。春秋彼岸は茶のお供としての菓子でよろしいとして、盆には涼し気なものを、暮れには正月食品として役立つものを、お供えするようにした。
 しかし今年は特例だ。先月、父の十三回忌のおりに、こゝ数年の暮れにお供えしてきたものを使った。それと似すぎても失礼だ。しかたなく、菓子は菓子ながら、日ごろご仏前用には数えない品物から選んだ。

 次は、先日三陸の牡蠣と帆立をくださった奥さまと、これも先日福島のりんごをお裾分けくださった奥さま。お礼はいずれも今半。浅草の牛肉屋だ。すき焼屋としても知られるが、進物には甘辛味の牛肉佃煮。ご両家とも、ご夫君もご母堂もおられるお宅だから、召上っていたゞけよう。
 ご両家とも、ご当人お留守。ご母堂がたと、健康診断の噺や、法事の噺や、大掃除の手順の噺や、自転車の手入れの噺やらで、しばらく立ち話した。

 次はお向うのマンション一階にお住いのお婆ちゃん。私が行届かないでいると、拙宅の桜樹の落葉が往来を汚したりしているのを視かねて、掃いてくださったりしている。そのつど口ではお礼申してきたものゝ、せめて年に二度くらいは、折り目正しくご挨拶申しあげるべきだろう。両口屋是清だ。名古屋の茶室茶席専門の菓子舗で、かねてより私気に入りの菓子である。
 初夏のころ、十四歳だった愛犬に死なれたが、散歩の習慣が失われたぶん、ウォーキングに気を遣う日々とのこと。そのコース選定と道のりの特長についての、かなり詳しい噺を拝聴する。

 次はS理髪店さん。今年最後の散髪をお願いしに赴く。伺うたびに毎回、散髪後にご母堂が茶と菓子とを出してくださる。マスターを含め三人で、健康状態を訊ね合ったりご近所のお噂を伺ったりして、世間噺にひと時を過ごす。ご母堂の連合いだったご先代、すなわち現マスターのお父上の時代からの、付合いである。
 いくら付合いが長かろうと、毎回お茶とお菓子のいたゞきっぱなしもなるまい。こゝも両口屋是清。いつもお出しくださるお菓子の傾向から推して、まずお気に召していたゞけよう。

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 頭もさっぱりしたが、年内に了えねばならぬ用事が、だいぶ片づいた。
 どなたにどうお報せしようでもないけれど、佳き一日であった。一年の冬支度も、人生の冬支度も、このように着々と進んでくれゝば、さぞや幸せと申せようものを。