一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

意思表示

f:id:westgoing:20211230034825j:plain


 年に一日、旦那になる。頭(かしら)とご町内の関係。

 「いつもの、お持ちしていゝっすか?」
 野尻組の若い衆から、声を掛けられたのは昨日だ。毎年の年末行事である。
 「わりい、明日にしてもらえる?」
 これから出掛けようとしていたところだった。で今日、正月飾り一式を持って来てもらった。
 松一対、玉(玄関用)、注連縄(神棚用)、裏白飾り十二枚。それに針金やら何やら細かい附属品。裏白二枚は松の枝に通す。十枚は鬼門や、気と水の出入り口を封じる。裏口やら蛇口やら風呂場・便所などだ。

 「頭、お元気かい? あとでお店へ、寄らせてもらうわ」
 毎年、勘定のほかに、頭宛てに一升、若い衆に託してきたのだが、うっかり支度を忘れた。
 普段は道具置場兼用になっている野尻組事務所が、歳末の数日間だけ往来に向って開かれ、正月飾りの露店になる。火が焚かれ、つねに数人の若い衆が屯している。

 明るいうちにと考え、松と玉を済ませる。裏白も半分ほどは。

f:id:westgoing:20211230055733j:plain

f:id:westgoing:20211230043028j:plain

f:id:westgoing:20211230043232j:plain

門扉(片)、玄関、裏口。

 暗くなってきたので、スーパーへ急ぐ。ご時世か。洒落た六合瓶みたいな酒がズラリと並ぶ。しかも有名地酒や、これ見よがしに大吟醸と大書されたラベルが目立つ。真正面から無骨一直線に、「剣菱」一升瓶を思い浮べていたのだが、ない。面喰った。

 たしかに「生」だ「濁り」だ「大吟醸」だの時代となれば、冷蔵庫に収まる中瓶が便利でもあろう。中瓶二本と行くかと、一度は頭をよぎった。が、縁起物の祝儀だ。歳暮とは違う。これならどうにか格好になるかと思える一升瓶を、なんとか選り出した。
 詰所には、若い衆が屯しているのだ。夜回りを了えて、ご苦労さんと栓を抜けば、一升なんぞあっという間だ。冷蔵庫なんぞはしゃらくさい。

 若い衆に交じって、頭の姿もあった。じかにお会いするのは、いつぶりだろうか。いつも拙宅へ顔出ししてくれる若い衆もいた。
 「お久しぶりで。いつもお若い衆に、助けていたゞいてます。おつむ、一段と白くなられて、貫禄ですなあ。お元気そうでなにより」
 眼尻が下り切って、ナンのナンのみたいにもごもご云いながら、深ぶかと腰を折られてしまった。原っぱでのソフトボール時代も、神輿担ぎの時代も、温厚とは程遠い男だったが。

 今でこそ年に数回、往来ですれ違う程度だが、ガキの時分は知ってたと、頭から聴かされていたのだろうか、若い衆は「ホントに知合いなんダ」というふうに、眼を丸くして、双方を視比べている。
 「先生も、どうぞ佳いお年を」
 奴さんから「先生」と称ばれるのは、いかにも変だ。気分にそぐわない。彼にとって私は、先生ではない。それどころか、遺恨が残っていても不思議ではないほどの関係だった。むろん実際にわだかまりなどはなく、今では懐かしいばかりの存在だ。少なくとも私のほうは。
 「来年も、どうかよろしく」
 道みち考えた。たしかに、他にどんな称びかたがありうるだろうか?

 松も飾りも、スーパーで買える。私の暮しにそぐわしい、紙細工のような飾りを選べば、大袈裟でなく代金は十分の一程度で済む。ましてや詰所に一升届けるご町内は、今ではほとんどなかろう。それどころか、こゝが鳶の頭の事務所だとも、この若い衆らが何者かも、わきまえぬ住人がほとんどではなかろうか。
 べつに旦那顔したいわけじゃない。たゞ私は最期までご町内の一人だと、誰に向ってでもないけれど、さゝやかに、どうしようもなくさゝやかに、意思表示したいまでだ。