一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

シキネン

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左から「新」「古」

 

 勝手に「シキネン鍋替え」と称んでいる、私ひとりの年越し行事があって、今年も神秘的かつおごそかに、嘘、鼻唄混じりで日常家事のごとくに、催された。

 五年半ほど前に、急性心不全の発作に見舞われ、救急車騒ぎを起した。肺に水が溜まったらしい。水浸しとなった肺を、それでもどうにか働かせ続けようと、心臓が過重労働に明け暮れ、ついにショートしたのだった。
 正月早々、病気の詳細は控える。つまりは丸一か月の入院生活を余儀なくされた。病棟生活では、じつにいろいろ見聞し、あれこれ面白かったが、それも端折る。
 たゞ食事について学び、考えたことは、今から思い返すと巨きかった。

 献立にも調味料にも、食材の組合せにも、気を配るようになった。常用の主食として粥を炊くようになったのも、その頃からだ。一人前の粥を炊くのに恰好な、琺瑯製の小型鍋が二つあった。
 亡き母はよく、「こゝんとこ野菜モンが不足してるから」などと云っては、白菜かキャベツどっさりに、ほかの野菜類や茸類を合せて、水炊き鍋を食卓に出したものだった。私が台所をするようになって、「独り鍋は、しねえよなぁ」と、琺瑯鍋はお役御免同然となり、しばらくは休眠状態に入っていた。
 ほゞ毎日、粥を炊くようになって、この鍋たちが復活の機を迎えたのである。

 たゞし一人家族では、同時にふたつの鍋を使う場面はない。交互に使うか、用途別に役割分担するか、片方を食器棚奥の高いところに休ませてしまうか。
 ヒントとなったのは、伊勢神宮式年遷宮だ。遷宮について伺えば伺うほど、賢く清らかにして、潔い考えかただ。これを真似したく思った。
 たゞし式年とは、天皇の法事(?)の年を表す畏れ多い語であるから、まさかそのまま模倣もならず、シキネンと片かなにした。

 材質も容積も同一の鍋ながら、表情に若干の相違がある。使用年数の差によって生じた、底の疵つき具合にも違いがある。便宜的に「古」「新」と称び分けている。
 昨年は一年間、古鍋を使った。十一月の後半ごろから、食後の洗い物のさいに鍋底を磨きながら、あと何日で休めるぞと、古鍋に語り掛けたりしてきた。十二月下旬ともなると、ほゞ毎日「あと〇回だからな」と、名残のカウントダウンして聞かせた。むろん大晦日には、内も外も底も、念入りに磨いた。
 で、元日からは新鍋の出番である。古鍋は一年間の休眠に入る。

 「私たちは、出づっぱりですが……」
 中華鍋とフライパンの言い分は、聞えなかったことにしておく。