一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

押詰って

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 ――それではこゝで、選手を先導する白バイをご紹介いたします。まずセンターライン側が~、続いて歩道寄りが~(警視庁・県警の交通機動隊に所属する巡査長または巡査のご紹介があって)。「選手の安全確保に、全力を尽します」など、ご当人談話が紹介される。

 面談取材したのだろうか。それとも担当隊員へアンケート用紙を配布して、記入してもらったものだろうか。毎年毎回のことゆえ、月並を避けたいとの計らいからだろうが、中には、こんなのも。
 「子どもの頃から憧れてきた駅伝の任務に就けて、身の引締まる思いです」
 「この任務を志願したくて、警察官になりました」
 おいおい マジかよぉ。

 ニューイヤーや箱根にかぎらず、クイーンズだろうが都道府県対抗だろうが全国高校だろうが、駅伝先導の任務に就くのは、それぞれ地元県警の交通機動隊における、腕っこきの隊員さんだという。
 日ごろは違反を取締ったり、事故現場へいち早く駆けつけたり、暴走族を追っかけたりするに、情容赦なく辣腕を振るっておられるかたがたなのだろう。
 本当に、子どもの頃から箱根駅伝が好きだったから、警視庁・各県警に就職なさったのだろうか。

 もしこれが、放送マンによるさかしらなリップサービスだとすれば、なんと貧弱な人間観だろうか。ひいては倫理観の弛みだ。
 悪徳産廃処理業者により、何年も不法投棄されてきたゴミの山や、自然災害の残酷な爪痕を、自治体では手に余るからといって、泣きつかれて出動した自衛隊員さんたちを、これぞ自衛隊の誇りと称賛するに似て、腑に落ちない。他人が云うなっ。

 ――間もなく給水ポイントです。四年間ともに汗を流してきた同学年の、惜しくも走れなかった仲間からの、ひと声が掛ります。
 箱根のルールでは、伴走距離は五十メートルまでとされている。選手は二十キロ走るが、給水班の彼は、長らく準備したあげくに、刻々入ってくる選手の体調や精神状態の情報に眼配りし、今現在の選手をもっとも励ますひと言を考え出して、両手にボトルを握って五十メートル走るのだ。
 彼らはその五十メートルを、生涯忘れることはあるまい。一年生からレギュラーだったようなエリート・ランナーが、たとえ何年生のときの給水係が誰だったかを、忘れることがあったとしても。

 ――青山学院は、横綱相撲だった。またしばらくの間、メディアは原監督を追いかけまわすことだろう。ご自身もメディア露出を厭わないかたのようだから、おゝいに原劇場の幕を揚げられたらよろしいかと。
 たゞ大手町での、歩くお姿を、動画で拝見すると、ちょっとお膝にお痛みがあるご様子。私ごときが申すのは僭越至極ながら、ほんの少々、体重にお気をつけられるのがよろしいかと。

 ――日テレ放送マンがたの、今年のコンセプトは「笑い」「笑顔」だったのだろうか。苦しいときほど笑え、結果は不本意でも精一杯やって笑顔のタスキ。
 例年であれば、事前に用意したと見え見えの、せいぜいの語彙を散りばめた台本を、さもその場での実感のように繕って、涙、涙と誘うように、みずから酔い痴れた実況が入るところが、ことしは笑顔への誘いだった。
 これも世相だろうか。余裕があれば、人は泣きたがる。余裕がなければ、何とかして笑いたがる。井原西鶴先生から、だいぶ昔に教わった。

 ともあれ、ニューイヤー、箱根往路、箱根復路。三が日が了った。さて今年も、余すところ三百六十二日。押詰ってきました。