一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

カンカラ

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ジャック・ニコルソンモーガン・フリーマン

 原題は、The Bucket List. バケツのカタログではない。棺桶への支度一覧、というほどの意味。余命を宣告された二人の老人患者が、思い残しを解消するために、病院を抜け出して、とんでもないことをヤラカス噺だ。邦題「最高の人生の見つけ方」。なんじゃらほいっ、これは?

 十六歳で奉公に出たコールは、生来の負けん気と口の悪さで、すぐ人とぶつかるが、金儲けだけは天才的に巧く、今ではいくつもの事業体のオーナーだ。告発された裁判でも、金の力で司法を丸めこんでしまうほどの度胸と辣腕の持主である。四度結婚したが、ワガママな気性が禍してすべて離婚。愛娘とも行き来が絶えた状態のまゝになっている。
 歴史学の教授を夢見る大学生だったカーターは、今の奥さんと出逢って激しい恋に落ち結婚。子供ができて、大学中退した。当時の黒人青年に、家族を食わせる職を選べる余地はなく、自動車整備工場の職工となり、以来四十五年間、脇目もふらずに働きづめで生きてきた。息子二人は税理士と技師。娘は近ぢかオーケストラの第一ヴァイオリンのオーディションを受けるという。

 一人には名声も富も有り余るが、その気性から身辺に人がない。この病院も彼の持物だが、ドクターと秘書以外に見舞いに来るものもない。もう一人には子も孫も賑やかだが、今も裕福とはいえず、自分は家族のためにすべてを犠牲にしてきたとの思いを胸中にもっている。
 気性も来し方も対照的な二人の老人が、入院病棟で相部屋となる。初めはぎくしゃくするが、ともに苦労人同士。やがて面白いことにとなってゆく。

 初めてこの映画を観たとき、人間像の彫りこみの面白さに惹かれた。男役者なら誰でも、どちらかの男を演じてみたいと思うだろう。強気で能弁で積極的なジャック・ニコルソン側を演じたいか、庶民的だが知的で、腰が低いようでじつは芯が強いモーガン・フリーマン側を演じたいかで、役者の性格が知れるような台本だと感じた。

 いく年か経って二度目に観たときは、会話に窺える軽妙なユーモアにばかり眼が行った。自分の死期を視据えながら、こういう会話ができるものならと思った。さればこそ、心を開きあったのちに、二人だけの間に交される真剣な意見交換には、言葉にならぬ重みが感じられた。死にゆく二人が、幸せ者かのように、錯覚しそうだった。
 これは我がお気に入りの殿堂入りかと思い、DVDを購入した。以後、数回観ているが、上出来な映画に共通で、よくもまあ細かいところまで描いてあると、感心させられる。

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 今日思ったのは、二人のあっぱれな最期が、じつは違法行為だという点だ。入院闘病生活の退屈しのぎに、冗談半分で書き出したとんでもない「棺桶リスト」だが、結局二人の老人はすべてを達成してしまった。その点を指して邦題は「最高の人生」とするのだろう。
 彼らの仕出かしたことは、痛快な違法行為だ。やったもん勝ちの勝手行為である。とんだ不良老人たちである。

 だがその不良たちの蛮行によって、途方もなく価値あったにもかゝわらず見失ってきたものが、蘇ってふたゝび見えるようになった。それを「最高の人生」のもうひとつの面とするのだろう。同意する。
 ということは、不良にしか見えぬもの、もしくは不良行為をとおしてしか見えてこないもののなかに、「最高」があるということか?

 半世紀以上も前だ。ニューヨークのウェストサイド・スラムでイタリアからの移民とプエルトリコからの移民たち、それぞれの不良少年たちが陣取り喧嘩するミュージカルが、えらくカッコよかった。『ウェストサイド物語』だ。
 今では、灰のごとき骨となってカンカラに収まり、法を犯して見晴し最高の山頂に置き捨てられる老人二人を、カッコイイと思える。晩年というものは、不良ジジイに限る。