一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

飲む事情

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石川酒造「さらさらにごり」「あらばしり生酒」

 昨年暮れに、身分不相応な酒を頂戴している。まだ封を解いていない。

 くださったのは、英文学科の教授であられた大島一彦さんだ。ある時期文芸学科へ出向され、学科主任を兼務された。そのさいに地道に学問だけしていればいゝというわけでもない文芸学科の特性に鑑みて、非常勤講師として学外の乱暴者を雇い入れようと考えられた。学生に、現場の匂いを嗅がせようとのご配慮だったろう。
 私に眼をつけてくださり、引っぱってくださった。恩人である。

 私は当時、零細出版社に籍を置きながら、同人雑誌に書き続け、それらをまとめて二冊ほどの論集を出し、頼まれ仕事として新聞に書評を書いたり、文庫本に後付け解説を書いたり、地方新聞に読書案内の連載コラムを持ったり、いわゆるホマチ仕事をしていた。
 文学賞の下読み(粗選り)や、雑誌の特集企画のための下調べなど、名前が表に出ぬ仕事もかなりやった。つまり業界の片づけ屋、覆面ハイエナ集団の一人だった。腕に覚えはあっても、地位も立場も何もない、文学の浮浪者だった。

 「先生、私は学生諸君に、なにを喋ったらよろしいので?」
 「現代ことに戦後日本文学史の、おゝまかな見取図を、学生が想い描けるようにしてください。学問の問題としてよりも、文学現場の問題として」
 「承知いたしました。それでしたら、私の手の内に。ですがご注文は二講座とありますが、あとひとつはなにを?」
 「それは、これから考える。たぶん文芸批評の問題となりましょう」
 「ときに出番が金曜の四限五限と、定められているようですが」
 「あ、それはぼくの出講日。講義後に飲む事情」

 で、私はほゞ二十五年ぶりに、母校の門をくゞったのだった。むろん大島教授とは文学的(実態は酒)交友を深く結ばせていたゞいたことは云うまでもない。
 私には学識も、学問的な業績も、まったくない。かつて学部に七年在籍した、牢名主的留年学生だった。その歳月は、むろん麻雀にもかなり費やされたが、主として学科の壁を無視して、必修科目の単位も無視して、文学部内を遊んで歩いた。怪我の功名、二十五年後にこれが役立った。
 本籍の日本文学科はもちろん、英文・仏文・露文・哲学・美術史・演劇、各学科に、かつての恩師か、またはお名前かお顔を存じあげる先輩がおられた。着任すぐさま、古狸の講師のような、居心地良い空間とネットワークを形成することができたのだった。

 それからまた二十五年。双方定年。大島さんは、ジェイン・オースティンの長篇翻訳を続行というライフワークがおありだから結構だけれども、私のほうはどうしてみようもない。ブログを書いているのである。

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いずれも石川酒造パンフレットより

 いたゞいた銘酒は、東京福生市の蔵元さんの新走りのようだ。酒だけでなくビールも醸造なさっているらしい。蔵元見学や試飲できる直売店のほかに、ビア・レストランや割烹料理店まで併設。周辺を散策した足で立寄って、小旅行を楽しめるコースとなっているようだ。

 せっかくの到来銘酒を今日まで温存してきたのは、酒が嫌いなためではない(蛇足)。じっくり味わおうと、機を窺ってきたのである。
 昼夜逆転日が多いため、キッチンドリンキングも明けがた、つまりもっとも冷える時間帯となる。というより、まだ起きていたくはあるが、あまりに寒いので毛布にくるまって寝てしまおう、との動機で就寝を決断する日が多い。となると、酒は熱燗。かねてより愛飲の、ビッグエー酒販またはサミットストア酒販に与る、二リットルパックの出番となってしまう。

 だが今夜こそ、大島さんご好意の、封を切ろう。飲む事情はなにゆえかと申せば。
 レッドウェーブが三菱電機に敗れて、今シーズン初黒星二連敗。しかも両チームともすこぶる出来が好く、試合内容は両試合とも大熱戦の大接戦。感動的な敗戦だった。
 今夜は飲みながら、ゆっくり揚げびたしを作ろうぞ。