一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

唇のしわざ

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小笠原奈央(1987‐ )日本プロ麻雀連盟所属
竹書房近代麻雀』web「雀士名鑑」より無断で切取らせていただきました。

 愛称は「不屈のベビーフェイス」。ツイッター上でも、画像検索でも、コスプレやカラコンや、変顔やイタズラ描き顔の写真が、無数に出てきてしまう、お茶目キャラが売りの美形雀士である。
 この人の声が好きだ。前期まで女流桜花杯の配信実況を担当しておられた。お顔の印象とは異なる少々アルト気味のお声で、熱狂・絶叫調を避けようとの意図からか、マイク近くから囁くような実況だった。画像を消しヴォリュームを上げて聴いていると、好い気分だった。思わずマイクを吹いて息音が入ってきてしまったときには、その唇の形が想像できて、ウワッという気にさせられた。
 今期は選手として参戦なさるご都合からだろうか、降板された。録音しておけばよかった。

 「それでは本日の対局者を。まずオガサワラ奈央プロ、どうぞこちらへ」
 「はい、オガサハラでございます」
 抗議する調子など見せずに、やんわりと訂正主張される。連盟への選手登録もさようになっているのだろう。実況司会者も注意深く「ハラ」と発音しておられる。が、解説者席の同業者のなかには、「ワラ」と発音してしまう人もある。

 藤原さんが役所に提出する書類の、氏名ふりがな欄に「ふじはら」と書いても「ふじわら」と書いても、「次、フジワラさん」と呼出されることだろう。
 日本語の仮名表記はイロハ四十八文字、今日の五十音図に当てはめてきたが、音声は当然ながら五十音図ごときで整理できようはずもない。はるかに多彩な音声があったし、地域によっても時代によっても、変化してきた。とりわけ、唇や舌、口腔の都合によって変化してきた。
 さらには平安より鎌倉、それより江戸、それより近代と、日本人の会話速度はスピードを増してきたことだろう。唇の都合で、発声難易度の都合で、変容や省略が生じたにちがいない。

 さようであれば、これにて → さようなら → (現代若者)んじゃ
 有難き(めったにない)ことかと → ありがとう →(現代若者)どうも
 たいそうお早いですね → お早うございます → おはよう

 旧日本語の仮名表記は、語源や文法にはなるべく忠実たらんとしたが、発音にまで忠実であることは不可能だった。やむなく音声の機微は、唇の事情に委ねていたのである。
 が、敗戦後の国語教育改革運動は、方言を撲滅して全国民が意思疎通できることを理念としたから、国民に無理やり五十音で喋らせようとした。ために語源と派生語の関係は、今もズタズタにされたまゝだ。
 項(うなじ)を突く(ツク)のに、頷く(ウナズク)
 膝(ひざ)を突く(ツク)のに、跪く(ヒザマズク)

 加えて、唇の事情も無視された。数の十はもともと「ジフ」と表記されていた。二十は「ニジフ」である。が、日常会話のスピード感といゝ加減さのなかで、つまり唇の事情で「ジュ―」と発声されるようになったものだろう。
 それ以前の成語を考えれば瞭然だ。甲乙丙丁の十干は「ジッカン」であって、「ジュッカン」などではない。仏教において全宇宙を意味する十方世界(東西南北の四辺、南東・北東・北西・南西の四隅、それに天と地で十方)は「ジッポウセカイ」であって、「ジュッポウセカイ」などではない。
 遠山の金さんや鬼平の実物がたが、十手のことを「ジッテ」と云っていたか「ジウテ」と云っていたかについては、おそらく正確な資料はあるまい。たゞ「ジュッテ」とは云っていなかったことだけは、ほゞ間違いない。

 仮名はアルファベットやハングル文字と同じく表音文字だが、意思疎通の便宜や意味の正確さを補助する目的で発明されたもので、日本語本体は整然たる表意言語だ。語源も出典もしっかりしている。
 たゞし日常会話言語は、唇の事情に委ねてよろしかろう。在原業平はアリワラ、菅原道真はスガワラ、藤原定家はフジワラで、なんら不都合はない。元来日本語の発音は、いろは四十八文字に納まった時代などはなかったのだから。五十音図の発音を押付けてきた国語教育改革運動のほうが、どうかしていたのである。

 我が小笠原奈央プロの場合だが、「オガサ」と口腔前部で調声した直後に、「ハ」と口腔奥での無音息音を調声することは、口腔に若干の骨折りを要する。技術が必要だ。よろづに(これも今ではヨロズ)楽チンを好む口腔の自然から、「ハ」が「ワ」と発声されるようになったのだろう。
 役所の書類にオガサハラとふりがなするもよし、彼女をオガサワラさんとお呼びするのもまた、唇の自然なしわざで、さようめくじらを立てることでもないと思えるが。