一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

名残正月

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 栗きんとんが、これでヤマ。私独りの、勝手な正月明けである。

 商店街の個人商店が町の供給システムの大半だった時代は、各店舗の「新年は〇日から」といった貼紙を目処に、買物や献立を考えたものだった。開店はしても、松が取れるまでは、まだ本格始動とはなりきれぬ気分もあった。
 働き盛り会社員のころは、四日が仕事始め。曜日の加減で、まさか六日まで遅らせるわけにもゆかんだろうと、三日を初出勤とした年もあった。

 個人営業となってからは、目印がなくなった。そこで正月用として準備した食品が、いつ底を突くかを、自分なりの目処とした。なかでも、視た眼豪華な栗きんとんがなくなる日を、正月明けとしてきた。今日がその日である。
 野菜補給のために暮れに仕込んだ揚げびたしは、とうに消費して、新たに仕込んである。伊達巻は明日か明後日にはヤマ。赤魚とホッケもほゞ食べきり、ホッケ片身を最後の一枚残すのみ。黒豆は仕入れロットが大きい関係で、盛付けにもよるがあと一週間といったところだ。
 これまでの日々にだって、さて正月明け、とする機会はいくらでもあった。にもかゝわらずこの栗きんとん暦、けっこう長年続いている。さては私め、気に入っているのであろうか。

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 四日は初銭湯。五日は初ゴミ出し。いずれも初春の身ぎれい感はあるものゝ、めでたさイメージに欠ける。加えてその年の事情や暦まわりの影響を受け過ぎる。

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 七日は初買出しと、松や玉飾り外し。たしかに一年の始まり感たっぷりではあるが、どなたもが考えそうで、いかにも月並。

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 その後となると、初コインランドリー。初洗濯・初乾燥だ。いかにも私らしくうらぶれた感じもあって、心惹かれる。
 が、これも年によっての偏差が大きかろうし、だいいち洗濯物の半分以上は、昨年の積み残しか、昨年からの継続ものだ。暦の区切れとしての、おごそか感に欠けよう。

 つまりは、栗きんとんを食べ了る日。私一個の正月明けである。これが生涯最後のひと粒となるかも知れぬ。来年正月にも台所に立っているとの保証はない。

 高校クラス会の幹事からメールが来た。訃報二件。世界史担当の恩師(享年九十)。そして同級だったこともある、学年トップテンが定席だった秀才の生物学者
 もう一度だけ、読返しておきたい本が何冊もある。ヘロドトスが問題だ。柿本人麻呂が問題だ。圧倒的に時間が足りない。