一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

一か所

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ヘロドトス(b.c.480?‐ 420?)

 超大国ペルシアが、周辺諸国を糾合しながら、我が国をもひと呑みにしようと、大軍で押し寄せてきたのさ。こっちはまだ、小さなポリスに分散したまゝ、それぞれに暮している時代でね。我ら皆が、ひとまとまりのギリシア人という考えが、なかったんだね。大軍が押寄せてくるってんで、初めて自覚したんだ。

 なぜ勝てたかって? 奇跡的だって? そうさなぁ。局面局面では、幸運な出来事もあったし、英雄的人物の目ざましい活躍もあった。それやこれやをひっくるめて一言で云やあ、文明の力で辛くも優ったんだね。それがアタシの結論さ。巻7の後半から、巻9にかけて、散りばめて書いておいたがね。

 戦が済んでからもね、こっちはこっちで、向うは向うで、弁の立つ御仁がいろいろ云うんだ。自分の側から視てどうだったこうだったってね。おかしいと思うんだ。それじゃあ真相に辿り着けなかろうさ。
 のっぴきならぬ理由は双方にあった。優れものも馬鹿者も双方にいた。単純な勝ち負けじゃない。善悪でも、成功失敗でもない。どうしようもない必然性で、ガチンコ衝突したんだ。そういった按配を肚に入れるにゃあ、両側から眺めないとねぇ。いやさ四方八方から眺めないとねぇ。

 そこんところは、本の冒頭に宣言しておきましたよ。「ギリシア人と異邦人、双方の偉大な事蹟」を、洗いざらい書くってね。どっちか片方の言い分じゃなくてね。
 そんなわけで、書き始めたら、関連が芋づる式に出てきちまってね、繋がってるんだな世界ってのは。結局は、調べられる限りでの、そもそもの始まりにまで遡ることになっちまったんだ。
 たゞし、信頼できる言い伝えが採録できる範囲までだよ。神話の名を借りて、勝手な願望やうわ言を述べただけの説は、切り捨てたさ。遺跡や出土品や、石碑の碑文でウラも取った。

 それと、世界の果てってことについても、判断を迫られたねぇ。あの急峻な山を越えた向うにも、人が住んでるかもしれない。いや、きっと住んでる。けど付合いも交易もない。過去にもあった形跡がない。だから我われの世界に関わってこない。関わった記録も記憶もない。よし、こゝを世界の東端としよう。
 氷の粒が降るような天候で、こっちからはこれ以上だれも行かない。ごくたまに、毛皮を着た見知らぬ奴が、氷の雨の中からやって来ることがある。けど関わってこない。よし、こゝを世界の北端としよう。
 ナイルの流れをじいっと見詰めているとね、材木やワラ束や、妙なもんが流れてくることがある。はるか上流にも、きっと人が住んでいるに違いない。けど、とうてい横断できるとは思えぬ、果てしない砂漠だ。人の往来はない。関係がない。よし、こゝを世界の南端としよう。
 そうやって視定めた限りの世界についちゃあ、アタシはすべて視て、考えてみた。ま、そのいちいちについちゃあ、本を読んでみてよ。『歴史』ってんだ。大真面目に書いたつもりさ。

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 耳寄りなこぼれ噺だって? さぁてねえ、たんとあるにゃあるんだが、どれかひとつとなるとねぇ。

 エジプトを調べて歩いているときの、ほんの枝葉の噺だがね。父王もその前の王も、ひどく冷酷非情な専制君主でさ、民衆は長いこと地獄さながらの苦しみが続いてたところへ、えらく開明的で民衆に理解ある王が現れたんだ。民衆の喝采と感謝たるや、想像を絶するね。歿後、当然ながら民衆の手で、ピラミッドが建てられる。
 いくつか残るピラミッドのうちに、飛び抜けて小ぢんまりしたのがある。これは王から可愛がられた遊女(名前も判ってるが、いゝやねそれは)が建てたと、まことしやかに云うギリシア人もあるそうだ。
 現地で実際に眺めてみれば、いくら小さいとはいえピラミッドだぜ。女手の仕業であるはずがない。しかもその遊女、よく調べてみると、時代が違うんだ。もっと後代の人さ。

 彼女はイアドモンって旦那の女奴隷(市民権のない奉公人)だ。同僚の男奴隷にアイソポスがいたことも判った。
 この男、頓智が利いて言葉も達者。風刺的なのや教訓的なのや、寓話を創るんで知られてたんだ。ところが才能の災いさ。神託を冒瀆したかどで、デルポイ人に殺されちまった。
 後になって、デルポイから賠償金が出ることになったんだが、受取人が名乗り出てこない。宙に浮いたまゝ時が経って、なんとイアドモンの孫にあたる同名のイアドモンが受取人になった。アイソポスが祖父さんの奴隷だったことの証明だねぇ。証拠も残ってるって噺だがね。

【一朴洞申す】今では世界中に知らぬ人とてないイソップ(アイソポス)が、実際に生きて動き、呼吸し暮していたことを取材して記録し、実在人物であることを証言した文献は、地上にこの一か所のみである。余はすべからく、後代のでっちあげに過ぎない。
ヘロドトス『歴史』(巻2、第134節)