一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

補助金

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  なくて七癖。アキレウスの踵。弁慶の泣き所。いやいや馬鹿は死ななきゃ治らない。宿痾のごとき悪癖というものは、どなたにもおありのようで。

 使い回しが利き、保存期間が長いとの理由で、玉葱と人参とを切らさないようにしている。偶然、同時に切れた。さらにちょうど昨日で、揚びたしを食べ切った。
 昨年の初夏から秋口まで、肉じゃがを繰返し、味が一応の安定にまで到達したので、以降は揚びたしへと移行した。年明けすでに、二度作った。そろそろ次なる課題へ移行すべき時だ。
 しかしである。毎回慎重に味わっては、具材を換えてみたり、出汁加減を、今度は酢加減をと調整してきたものの、まだ自分流定番に到達したとは申しがたい。改良の余地がある。不幸中の幸い、次なる目標が決っていないことでもあるし、もう一度、揚びたしを仕込むことにした。

 具材に関しては、当初鶏肉が加わっていた。昔は定番としていた青魚を、あえて避けてみたのだった。味は申し分なく、気に入ったのだったが、食感にはたいした驚きもなかった。二度仕込んだところで、これなら普通に唐揚げでいゝんじゃないかという気分が湧いた。
 昔どおり、秋刀魚に戻した。揚びたしの場合、季節外れの冷凍秋刀魚も大歓迎だ。鰯か鯖か、さらには赤魚か太刀魚かについては、その昔、けっこう期間をかけて確かめた。秋刀魚がよろしいと、一応の結論を出してある。

 ところが昨秋は、二度ほど仕込んだところで、秋刀魚に疑問が生じた。当方の味覚が老化したのだろうか。疑問は、根本的であった。世間さまなど、一般論など、このさい問題外。そも私の揚びたしに、動物性は不可欠なのであろうかとの疑問だった。
 その昔、天ぷらに海老も鱚(きす)も穴子も、本当に不可欠だろうかとの疑問が湧いたと同様の、私としてはコペルニクス的転回と申すに等しい大疑問だ。
 師走に入ったころから、野菜だけにしてみた。動物性成分が染み出すことがなくなって、タレの味がかすかに頼りなくなった。が、不味くはない。これはこれで老人食だ。

 ピーマンがクタクタに軟らかくなりながらも、しぶとく苦味を残して敢闘賞だった。が、本来こゝはナスとしたものよと考え、同時に出場させてみたら、食感がカブッた。ナスへの包丁の入れかたによるけれども。泣いてバショクを斬る。前回、つまり本年第二回から、ピーマンは二軍落ちとなった。
 この間、地味ながら着実に存在感を示し続けてきたのは、生椎茸だ。干椎茸と違って安いのが、強みでもある。前回から増量、八百屋の小袋を二つ買うようにした。

 昨年暮れから、カボチャも参戦。十年以上炊き続けてきた天龍寺流を一時休止して、こちらへコンバートした。今後も一軍に残留し続けるか否かは、まだ未知数だ。
 味にも食感にも申し分ないが、厚みを均等に切るのが、案外むずかしい。天ぷら職人さんがたは、どうなさっていらっしゃるのだろうか。専用の道具か機械があるのだろうか。

 人参は、二軍落ちしたことがない。三本袋だと二本を使って、一本は冷蔵庫行き。玉葱は揚びたしとは無縁だから、ネットに入れて冷蔵庫側面に吊るす。バナナは刻んでサラダ風にするから、これも冷蔵庫外に保存。
 さて、兵員は揃った。明日は珍しく外出の仕事があるから、早くても戦闘開始は帰宅してから。酒気を帯びていなければ、明深夜以降となる。今回もまた「ラジオ深夜便」が軍楽隊となろうか。

 ところで、我が宿痾の件。今日の買物でも、我ながらウンザリさせられた。写真の水色部分、総額で920円。赤色部分、二箱で1,000円。
 健康問題なんぞではなく、家計圧迫問題において、禁煙脅迫は日々急を告げている。他に道楽もなき老人向けに限っての、タバコ銭補助金というようなものは、ないのだろうか。