一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

やつす

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勝 海舟(1823-1899)

 会ったうちで一番怖かった人は、だって? そりゃあ西郷だね。あと挙げるとすりゃあ、横井小楠かな……。勝海舟による、人物評価である。

 大志の途半ばにして斃れて後進の戒めとなった人物たちと、生き延びて維新の元勲と称された人物たちとの、双方を等しく眺めることができて、歯に衣着せず遠慮会釈もなく、バサリと寸評しうる人となれば、明治三十年時点にあって、この人以外にはなかったはずだ。大久保利通木戸孝允を回想すると同じ口調で、いまだ存命の山県有朋だろうが福沢諭吉だろうが、小気味よく評し捨てた。向学の若き徒は、翁の昔語りを執拗なまでに所望した。で、『海舟座談』一冊が残った。

 汲み出すべきもの尽きざるところなれど、今は一点のみ。
 ――機は感ずべきもので、言うことの出来ず、伝達することの出来んものです。(横井小楠には)長崎で初めて会って感服したから、しばしばその説を聞いた。いつも伝言してよこしましたよ。「勝さんに言ってください。今日はそう思うが、明日のことは判りません」と。いよいよ感服したよ。

 たしかに勝は坂本龍馬を一度ならず、熊本の小楠のもとへ、遣いに出している。坂本も、小楠にはだいぶ懐いた模様だが、最後は意見を異にして、その後は口を利かなくなった。

 明日の自分は、今日の自分ではありえない。小楠のわきまえは、当時としては図抜けたものだったろう。藩儒にして、抜刀居合の達人でもあった小楠が、そうしたわきまえを学から得たか武から拓いたか、興味尽きぬところだ。

 似たことを、養老孟司さんがさかんにおっしゃる。神経細胞の突起の先端は、つねに激しい動きをやめない。またおよそ七年で、人体の細胞はすべて交換(代謝)される。(私はもう十回も全トッカエになっているわけだ。)持続しているのは意識だけで、人体は常に変化している。記憶などはもっとも宛にならず、刻々変形している。感性だって、毎日じりじり変化している。昨夜就寝直前の自分と、今朝起床直後の自分とは、正確に申せば別人で、それを同一と信じ込みたがるのは、意識の作用に過ぎないと。
 だからこそ、変化してやまぬ人間を無軌道のまゝに放任せぬために、約束があり、社会の仕組みがあり、法律がある。総じて申せば、変容常なき人間を、定点に釘づけしておくために、言語がある。

 「私は私である」「個の独自性」「信念の一貫性」どれも嘘臭い。生命体の本性からして不自然だ。だからこそ、言葉に表現して、固定させている。
 なるほど、幻想を排して、人間を科学的に眺めれば、養老先生のおっしゃるとおりかもしれない。
 人間は腸内に、兆単位の数の生命体を宿している。それぞれが別の遺伝子をもっている。健康被害を惹き起すものもあろうが、大半は我が生命を助け、共存している。人体とは、いわば集合生命体だ。「個」が独立しているなどという幻想は、いかなる前提において成立するものか、考えてみれば曖昧この上もない。
 「ですから皆さん、自分はこう考える、こう感じる、今はね。たゞし明日はどうなるか、保証の限りではありません。そうお答えになるのが、正確ですね」と養老先生、おっしゃる。

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 横井小楠の前半生は波乱万丈だった、体躯は小柄だったが、志操堅固にして能弁な文武両道。酒を好んだが弱く、しばしば問題を起している。藩儒に取り立てられながら、蟄居閉門を命じられたりもした。福井藩松平春嶽から三顧の礼で招聘されもしたが、攘夷派のテロリストから斬り殺されそうにもなった。
 ところが晩年まで仕えた弟子の回想によると、癇癪持ちではあるが、あとはさっぱりとして根に持たず、謝ると容れて、むしろ上機嫌になったという。寛容でこだわりのない、練れた人柄だったそうだ。説得力ある能弁は、生涯変らなかったらしい。西郷隆盛の訥弁と対照する説も眼につく。

 ――小楠は、太鼓持ちの親方のような人で、何を言うやら、取りとめたことがなかった。大久保でさえ、そう言ってました。たいていの人には解らなかった。しかしエラクものの解った人で、途方もない聡明でした。
 アンタが云うか、勝さん。解りにくいのはアンタでしょうに。
 だが、山県有朋だろうが伊藤博文だろうが、ズバリ本性を突くひと言で表し、鼻で笑うように評し捨ててしまう、勝の『座談』にあって、これは最上級の誉め言葉だ。大久保ごときに小楠は解るまいと、云っているも同然ではないか。

 のべつ芸者を侍らせ、弛みほどけた自分を弟子の前でも隠さなかった、居合抜きの達人儒者は、二度も三度も命を狙われ、何度目かでついに暗殺されてしまった。
 前半生の山坂に、渋皮の二枚も三枚も剥け果てて、物わかり好く寛容な、人当り好過ぎる、さながら老練な太鼓持ち然とした老人となった。いったいなにを視て、どんな具合に身をやつしていたのだろうか。

 あとニ十歳も若くて、雑誌編集にでも関わらせていたゞけるものなら、二千人以上の死体と対話してきた現代の解剖学者と、横井小楠との、「明日は判らない」対談を企画してみたいもんだ。