一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ハナミヅキ

f:id:westgoing:20220202235945j:plain

そうか、こんなふうに咲くのか。

 アメリカ合衆国南部、ジョージア州アトランタの、街から離れた裕福なお屋敷だ。夫に先立たれた、退職教師の老婦人が、独りで住んでいる。長年の奉公で気心知れた黒人メイドが、毎朝かよってくる。
 息子は紡織会社の社長で、社交家の妻と街に住んでいる。母が心配で同居したいと考えた時期もあったが、匙を投げた。あまりに気位が高く、自信家で、なんでも思いどおりにやりたがり、他人に口うるさい母だ。そこへもってきて妻もまた、地域活動や地方政治にも一家言ある、才色兼備の女性だ。折合いがつくはずがない。

 あたり一帯が棉花畑だった時代、亡き父が一生働いて、どうにか道を拓いた紡織工場だ。後を継いだ息子は、工場を近代化して軌道に乗せ、東部や北部へも事業展開。街の商工会の代表的青年実業家として忙しい。
 ある日、母が買物に出ようとして、車の運転を誤った。迫りくる老化は隠しようもない。むろん本人は、断じて認めようとはしないけれども。
 運転手、兼執事、兼下男というような、便利な男がもしいたら、金に糸目を付けず雇いたいとは思うものゝ、あの気難しい母に辛抱して仕えてくれる男など、おいそれと見つかるはずがない。あちこちに口を掛けたが、友人らも母の気性を知っているから、望みうすだ。

 「一人いるにゃあいますが……。いえね、仕事はなんでも人一倍こなすんで。そりゃてえしたもんで。たゞ学がねえうえに、人が好いんだか馬鹿なんだか、ちょいと底の知れねえような野郎でして。はたして大奥様のお気に入っていたゞけるもんやら」
 古手の黒人従業員が申し出てくれた。会ってみる気になる。ふいにやって来た。なるほど、さすが友達の評は的を射ている。中年になるまで、苦労だけをしてきたような男で、練れているんだか、間抜けなんだか、どうにも掴みどころがない。
 「じつは、たいへんむずかしい母なんだが……」
 「うまくやりますさ。ガキの頃、家畜小屋でこォんなでっけえ豚と格闘したときだって、なあに最後は、うまくやりとげましたさ」
 この台詞を聴いた青年社長の一瞬の表情は、逸することのできぬ見ものである。

 気丈でつねに背筋正しい、自己中心的でもある老婦人と、黒人運転手との、ちぐはぐコンビによる歳月が始まる。
 舞台での芝居として大当りをとり、映画化されてまた大当りした『ドライビングmissデイジー』。からっきし無学ながら、驚嘆させられるほど賢いこの中年黒人の使用人。映画では、モーガン・フリーマンだ。

f:id:westgoing:20220203041307j:plain

 なかで「そんなこんなで何年もが経過して」を表現する心象風景映像(ブリッジ)として、敷地内にハナミヅキが爛漫と咲き匂う場面が、一度ならず二度も出てくる。アメリカ人の心に、そして南部の富裕層の屋敷を表現するに、よほど的確な材料なのだろう。
 街路樹として日本人にも視慣れた花木だが、咲かせかたがまったく異なっている。日本ではこれほど大きく野放図に成長させることは、めったにない。もっと身近で、扱いやすい樹木と受取られている。だが、この映画に登場するハナミヅキは、申せば大樹喬木である。

 北米原産の春咲き花木で、日本人が「桜前線」と云うように、メキシコ国境から五大湖畔までの今はどこが満開かと、アメリカ人は話題にするという。南部には、山の野生種を愛でて歩く「花見」の習慣もあるらしい。
 ことにジョージア州では、身近に取りこんで「盆栽」がごとくに愉しむ人も多いそうだ。映画の舞台となっているジョージア州である。

 日本へは、大正時代の始めころ、もたらされた。それより三年前、東京市長だった尾崎咢堂がワシントンD.C.へ、ソメイヨシノを贈った。その返礼として、白花種の苗木四十株、薄紅花種の苗木二十株、計六十株を贈られたと記録にある。小石川植物園日比谷公園その他に植えられたらしいが、戦時中にほとんど伐られて、いわば第一世代または第一陣とも称ぶべきそのときの株は、残っていないらしい。

 小学校の先生からは、アメリカハナミヅキと習った記憶がある。渡来時の事情からだったのだろうか。実際に称ばれている通称名は、アメリヤマボウシだそうだ。たしかに花の印象はヤマボウシ(山法師)とよく似ている。
 通常「花」と観られている部分は、じつは総苞(花を保護する頭巾)であって、中央に寄集まって雄蕊のごとくに見えている部分こそが花である点でも、ヤマボウシと同じだ。知識は皆無なのだが、きっと植物分類学上も近しい間柄なのだろう。

 白梅は別格としても、ハクモクレン、コブシ、ヤマボウシ、ハナミヅキ。春といったってまだ寒いと語り掛けてくる、ハラリッとした白い花たちが、もうすぐ咲き始める。ありがたいことに、いずれもご近所にある。どちらのお宅に、なにが咲くか。あらかた目星をつけてはある。
 それから、どうでもよろしいことだが、ハナミヅキを検索すると、花より先に一青窈さんが出て来てしまう。