一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

何歳?

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モニカ・ヴィッティ(1931‐2022)

 石原慎太郎さんが亡くなられた(2月1日、89歳)。蘇る記憶はいくつかあるものゝ、無念の想いとか、人生無常の感慨とかはない。たくさんの仕事をなさった、ご存分のご生涯と思える。
 お仕事の評価に毀誉褒貶あるとは承知しているが、骨身を削って生きたところで毀誉にも褒貶にも与らぬ人間が、百人のうち九十九人だ。この世に無駄に生れた人間など、一人もないにもかゝわらずだ。その身に降りかゝる甲論乙駁あっぱれ、もって瞑すべしである。

 西村賢太さんが亡くなられた(2月5日、54歳)。手柄を挙げこそなされたものゝ、こちらはちと無念。いかにもお若い。時代の流行となるはずもない芸風ではあったが、たしかに文学だった。
 昔噺で恐れ入るが、昭和十二年、尾崎一雄が『暢気眼鏡』で芥川賞を受賞したときのこと。尾崎が志賀直哉直系の門弟であることも、長い下積み生活をしてきていることも、選考委員一同承知している。委員のなかには、兄弟子の瀧井孝作もいる。遅咲きの船出に寄せた委員たちの、この年の選評には、面白いものが多かった。
 佐藤春夫の評。「志賀直哉崇拝の跡歴然。たゞしこの作者はたしかに、自分の盃で酒を飲んでいる」
 西村賢太さんの文学も、そうだ。今まで誰も視たことがないような新しさで読者を悦ばせるなんぞということは、なかった。が、切実だった。作品内容に対して、作者がしっかり責任をとっている文学だった。

 心鎮めて、追悼の読書時間をもつべきところなれど、じつは映画を観ている。
 モニカ・ヴィッティが亡くなった(2月2日、90歳)。中学生の終りころから高校生時分にかけて、深刻に惹かれ、影響を受けた女優さんだった。むろん彼女を一躍世界的女優にした、一連のミケランジェロ・アントニオーニ監督作品をとおしてである。
 『情事』『夜』『太陽はひとりぼっち』『赤い砂漠』が手持ちなのだが、憎むべきかな、彼女追悼にもっとも観なおしたい『太陽はひとりぼっち』だけがテープ(VHS)のまゝで、DVDに買い替えてない。再生装置がないのだ。
 となれば次に観るべきは『情事』だろう。作品評価の順ではない。世界の女優でたゞ一人、モニカ・ヴィッティだけがかもし出せるアンニュイ感が、強く匂い立っている順番である。

 そうか、男と女って、根本的に、うまく行かねえんだな。思春期の子どもがこうむった影響は甚大で、深刻だった。後を引いた。

 当時、「スター千一夜」というTV番組があった。月~金で毎夜十五分、三木鮎郎さんが芸能人ゲストにインタビューする番組だ。日本の役者や歌手がほとんどで、当時はそんな用語はなかったが、現在云うところの告知案件・番宣案件もあった。
 三木さんは英語もフランス語も堪能なかただったから、来日公演の外タレやPR来日した映画スターの登場もたまにあって、モニカ・ヴィッティが出演したこともあった。
 身を乗出すようにして観ていた私は、息が止るほどの衝撃を受けた。彼女が、あのモニカが、大輪の花がほころぶかのような笑顔で、三木さんと話している。

 彼女はいつも、憂鬱なはずだ。将来の自分を掴みあぐねて、迷ったり焦ったり、投げやりになってみたり居直ってカラ元気にはしゃいでみたり、揚句には疲れ果てゝ気怠い沈黙に沈んでゆく。そういう女性のはずだった。
 だのに、三木鮎郎さんの明るいジョークに切り返しながら、花のように笑っている。なんたることかっ。

 「女優さんに向って失礼ですが、たしか二十八歳におなりでしたよね」
 「はい、これからもしばらくは、二十八歳で行こうと思っています」
 「もちろん、そうすべきですとも。今夜はようこそ、おこしくださり、ありがとうございました。どうぞ日本での、佳い日々を」
 三十歳代半ばの女優さんとは、周知のうえ。なるほど、女性に対しては、こういう云いかたもあるのか。この番組で、初めて知ったのだった。
 享年九十歳のモニカ・ヴィッティさん、ご自分を何歳だと思って亡くなられたのだろうか。