一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

砂利の風合い

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瀧井孝作(1894‐1984

 ワタクシん処からほど近い川へ、瀧井さんが鮎釣りに来られるというんで、若いもんを二人、用意したんだ。
 一人は筏で山へ入って、柄の長い大鎌を振回しちゃあ山林の下草を刈るのを仕事にしている男。もう一人は頭にキの付く鮎釣りマニアでね。橋の下に野宿して、夜明けとともに上ってくる鮎を待って釣るってほどの男さ。瀧井さんのお供と案内には、うってつけだと思ってね。

 ところがだ。瀧井さんは素足に草鞋がけで、川石づたいに次から次へと、猛然たる速さで移動されたそうだ。二人とも参っちまってね。帰るなり寝込んじまう始末。もう一日お供してたら殺されるところだっただの、天狗様かと思っただのと、云うんだねえ。
 友鮎(友釣りのオトリ鮎)が弱って使いもんにならなくなるとね。腹を裂いて指を突っこんで、ハラワタをじゅるじゅるすゝって、血だらけの指をべろべろ舐めながら「精がついてよいのだ」って説明するんだそうだ。
 あんな人は初めて視たと、山男二人が魂消ていたよ。

 玄人はだしと云われた瀧井孝作の鮎釣りは、腕前のみならず構えにおいて、すでにして瀧井孝作そのものだったようだ。まことに、瀧井文学とはそのような世界である。
 ざらざらしている。沈殿物に濁っている。不自然な(人工的な)色艶などはない。最短経路で、核心を描こうと骨を折ってある。
 人や獣から滲み出した血液や体液に、粘り気もなく澄んだものがあるか。疵つけた樹木やむしり千切った草ぐさから滲み出した樹液草汁に、透明でさらさらしたものがあるか。舌触りのざらつきや、耳に残る言葉の濁りや、表現のいがらっぽさは、すべからく作者が、命の核心へと直截に筆を突っこもうと企てた結果ゆえのこと。対象の臓物を、素手でじかに掴み取ろうとした結果だ。

 文士たるもの、言葉を惜しめと教わる。言葉を磨けと教わる。刈込み、切縮め、省略し、深めよと教わる。先達の名文を拳拳服膺(けんけんふくよう)せよと教わる。例として何人かの文豪の名が挙げられるさいに、五人挙げよとなれば、まずたいていの場合には、志賀直哉の名が混じるだろう。
 瀧井孝作志賀直哉の惣領弟子だ。芥川龍之介にも兄事したが、文章術の系統としては、志賀直哉系だ。そして出藍の誉れよろしく、引締まった志賀の文体よりも、さらに引締めてしまった姿をしているのが、瀧井の文体である。
 多少の読みにくさなどに頓着なく、不愛想をも顧みず、ひたすら対象へと筆を直進させたという側面では、日本近代文学史にあっての極北と称んでいゝ作家だ。

 旺盛な気力、集中力の持続なくしては維持できぬ文体だ。そして頑健な体力も。
 多くの先人たちが、瀧井孝作を称して、そこにデンッと石臼が置かれてあるような人、と形容した。まさにそのような人だったろうと、文章からも容易に想像がつく。

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藤枝静男(1907‐1993)

 鮎釣りにおけるたったひと齣の消息をもって、瀧井孝作文学の最大特色をひと筆に暗示してしまったのは、藤枝静男である。随筆集『落第免状』(講談社、1963)に収録されてある。
 藤枝も志賀直哉門弟の一人。兄弟子瀧井の姿を、弟弟子藤枝が、映し撮った。彼もまた、省略の利いた頑強な文体を、生涯目指した文人だった。

 徳田秋聲の文章を称して、人はよく、厚手木綿のようだと評する。派手さも飾り気もないが、しっかりと眼が詰んでいて、千に一つの弛みもない感じをさように形容する。だったら正宗白鳥は、麻織の風合いだろうか。これは私が勝手に想うのみ。だったら谷崎潤一郎はゴワッとした結城紬か、芥川龍之介はモダン洋柄の平織木綿か。これらも私が勝手に想うのみ。正絹呉服は、さて誰になるのか。
 瀧井孝作藤枝静男はさしづめ、砂利の風合い。これが渋い。なまじの修業モノマネ程度では、面白さが見えてこなかろう難物である。