一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

思いとゞまる

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2022.2.6. 於八芳園

 過分なご紹介でしたが、もう教員は辞めておりましてね、素浪人のジジイでございます。
 婿さんと逢いましたとき、どうもテエヘンな新入生が入ってきたもんだと、思いましたですよ。才能が溢れ余っているんです。自分でも持ち扱いあぐねているんです。どうやら周りが馬鹿ばっかりに見えるらしいんですな。苛立ったり、癇癪を起したりいたします。自分でも解っていて、落込んだり反省したりもいたします。
 どうなってゆくもんだかなぁと思って、まぁ、ナニしておったんですけれども。

 佳き出逢いがございました。彼女を紹介していたゞいたとき、わたくし申しました。
 「テエヘンな男ですよ。大丈夫ですかい?」
 「判ってます。わたし、喋るより聴いてるほうが楽なんです。得意です」
 スゴイ! 膝を叩くとは、まさにこれ。どこも叩きませんでしたけれども。このお嬢さん以外には、考えられない。直観いたしました。
 その後の彼の、着々たる成長発展ぶりは、皆さまご存じのとおりでございます。

 ご両家ご両親さま、ご親族の皆さま。佳きご縁で、おめでとうございます。
 ご列席の皆さま、晴の日をご一緒にお祝いいたしましょう。どうぞ、お手元のグラスをお手にお取りくださいまし。
 よろしうございましょうか。それでは、ご唱和ください。乾杯っ! 

 想えば、およそ四十年ぶりの八芳園だ。あのときは、庭を散策させてもらって、句を詠んだ。お出入りの演奏家舞踊家に、箏の音を聴かせてもらい、舞を見せてもらった。
 古株の仲居さんの案内で、由緒ある部屋を見せてもらった。暗殺者の急襲でもあればこゝから要人を逃すという、秘密の抜け穴があった。もっとも今は塞がれてあるとのことで、穴まで入ってみたわけではなかった。
 あの句友にとっても四十年、舞踊家にとっても四十年。私にとっても。

 開宴までの時間を、ロビー隅のベンチでおとなしく物想いしていたら、途方に暮れた老人と見えたか、女性スタッフが気を遣って、声を掛けてくださった。お言葉に甘えて、訊ねてみた。
 「抜け穴は、今もあるのでしょうか?」
 「噺には聴いております。私のようなものが、実際に視たことはございません。たしか今は塞がれていると聴きましたが」
 あゝ、当時も塞がれていましたと応じたい気も、一瞬したが、お仕事中のお嬢さんにとっては、あまりに浮世離れした無駄な会話に違いない。思いとゞまった。