一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

手土産

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 内定君のお父上は、青物の仲卸さんで、そのお父上つまり内定君のお祖父さまは、八百屋さんとして生涯を過して来られたという。その故か、用件で拙宅来訪のさいにも、珍しい手土産をくださったりする。近年の若者としては珍しい気遣いだ。
 今回も、初めて視る柑橘をいたゞいてしまった。

 間もなく卒業予定の、就職内定学生で、進路はお父上ともお祖父さまともまったく無縁そうな分野へと進む。大学に在籍期間の半分は、休校だのリモート講義だの、サークル活動の禁止だの、集会・寄合いの自粛だの、さらには大学祭の中止または規模縮小だのと、入学前に期待した大学生生活の大半を実現できなかった学年だ。
 大学関連ですらさようであれば、アルバイト事情だの、交友や恋愛だの、旅行計画といった面をも含めれば、彼の期待外れはいかばかりだろうか、にわかには想像もつかない。

 進路は、競艇および競艇場にまつわる団体だそうだ。彼自身も予想屋の手先みたいなバイトも経験したらしく、自分で予想などもしてきた。麻雀にも尋常でなく熱心で、つまりはいっぱしのハスラー、ギャンブラー、ゲーマーの面構えを引っさげている。私流に申せば、バクチ打ちの心ばえをもっている。その道には不可欠な花もそなえている。
 「先生は、博打は、やらんのですか?」
 自慢じゃないが、馬券・舟券・車券のたぐいには、一度とて手を出したことない。
 「あゝ、まったくね。博打は文学だけで十分だ」
 その答えがいたくお気に召して、私のもとへ出入りすることにしたと、だいぶ経ってから聞かされた。
 そんな彼に、自分の予想を確かめ自信を持つ意味でも、少しは舟券を買うのかと訊いてみたところ、
 「最初だけですね。どの角度からどう研究しても、博打は儲からないようにできてます。じつによ~くできているんです。今じゃまったく、札を買うことはありません」
 とのことだった。

 開催地も場外舟券販売所も全国に点在するから、専従として常駐するとなれば、当然地方勤務だ。
 「卒業したら、まず二年は、お伺いできなくなります」
 との仁義口上だった。へぇ、あんがい早く帰れるんだねぇと応えたら、一瞬呆れた顔を見せた。

 私が実状を知る世界は狭い。例えば全国新聞やNHKへ就職した学友たちを視ると、たとえ東京本社にて採用となっても、まず四年、ちょいと運悪ければ五年は、地方勤務があたりまえだ。埋め込まれる。塩漬けにされる。
 しかし料簡の確かな奴はそこで芽を出してくる。デンスケ(昔の録音機)を肩に、メモ帳を手に「農村の老人たち」「林業の今」「離島の赤ちゃん事情」「橋が架かるまで」「県民の食生活」……歩きながらいろいろ考え、実行する。
 企画をまとめ上げるということは、たとえピンポイントではあっても、その問題について日本で一番詳しいのは俺だ、という状態になることだから、いかに真面目に取組んでも三年四年はかゝる。ようやく企画会議を通って、特集記事になったり、ラジオ番組になったりするものが出てくる。小さな賞のひとつも受賞する。で、それを手土産に東京本社へ栄転してくるのである。

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 庶民の娯楽欲から集めた金を、社会福祉地方財政にどう還流させていくべきか、内定君の見識を聴かせてもらうには、おそらく私は間に合うまい。せめて眼の前の柑橘は美味しくいたゞくとして。
 愛媛県の産物とのことだが、品種血統としては、有名なデコポンの系統らしい。デコポンは味も形もあまりに人気が出過ぎて、外国からパクられ、商標登録され、今ではその国の「自国産」として第三国への輸出品目になっているという。
 よくもまあ恥かし気もなく。だが下から地道に積み上げてゆく、現場の経験を尊重しないのであれば、そりゃそうなりますわな。