一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

お膝元

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両口屋是清「千なり」

 二十五年来、進物に使わせてもらっている両口屋是清。名古屋に本店がある、茶席菓子の老舗だ。池袋の百貨店の出店と、取引きしてきた。今回はあべこべに、頂戴してしまった。包装紙の封印を視ると、名古屋三越栄店。ウワッ、本場もんだ。
 本店はおろか、名古屋市内のどちらのお店にも、伺ったことはない。名古屋へ出張しても、たいていは余裕のない日程だから、菓子舗を覗く酔狂な時間も、気持のゆとりもないまゝにきてしまった。

 伊刈君は東京で学部を了えた後、名古屋の大学院に進学。詩人についての調べごとと詩の実作を志していた。が、教室の水が合わなかったとみえ、東京の大学へ入り直すことにしたという。
 「大学院ってのはさ、研究機関だぜ。研究者や教育者の養成機関ともいえる。学部とは違うぜ。その道の人らしくなるために、砂を噛むような思いで、退屈な文献と格闘し続けなければならないし、一見芸術とは無縁と見える瑣末な技術も身につけなけりゃならない。
 それを五年十年続けた果てに、仕事の方針も、研究者としての将来も見えてくる。
 どういう学問をするかの前に、学者らしい人格になることが求められる。下積みが花咲いてたいした学者になる者もあるし、その間に擦り減っちまって、鼻持ちならない学者馬鹿になり果てる者もある。自由で楽しい勉強ができるところなんかじゃないぜ」

 かつて学部卒業を控えて進路が話題に上ったさい、伊刈君に申しあげた。むろん前途に夢を想い描く彼の耳には、入るはずもなかった。当然である。さようあるべきでもある。
 懸念した予感は的中した。むしろ早々に見切りをつけ、舵を切ることができて賢明だった。より風通しの好い場所で、もう何年か、手前勝手な勉強をさせてもらったらよろしい。その後に改めて方針を考えて、最終的にはいずれかの途に腰を落着けて「○○屋」「○○家」「○○者」になったらよろしい。
 その時点でもなお、自由気まゝでありたいとするのは、贅沢というものである。自由勝手な遊び人で押し通すには、凄まじい体力と才能を必要とする。やめておいたほうがよろしい。

 大学にはよく、「後継者」とか宣うて、ご自身のミニチュアのごとき弟子を育てたがる教授がいらっしゃる。劣化コピーの作成だ。下司か三流である。
 さすがにその程度のことを視抜く若者はあって、出世せぬ代りに視るからに自由そうだと、私を訪ねてくださる場合もある。面談してみると、たいていの場合、遊んで通す才能は足りていない。きちんと座布団に座るようお奨めして、お引取り願う。
 遊んで過すことゝ引換えに、どれほどのものを差出してきたかが、若者の視野に入らぬのは当然である。

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 いたゞいた「千なり」は、申すならばどら焼きだ。生地の配合と泡立てに工夫があるのだろう。パンケーキ部分がきわめて軟らかい。餡は小豆粒餡、抹茶餡、紅粒餡の三種類。抹茶餡の練り具合はどうやっているのか、きめ細かく滑らかで艶つやしい。紅粒餡はお多福白豆の粒餡になにかで美しい色を付けるらしいが、たんに「着色料」とのみ表示されている。興味あるところ。

 この商品は、東京の百貨店の出店では視たことがない。初めていたゞいた。本場もんのありがたみふんだんである。
 この商品を東京に出さないのは、ある意味当然か。「千なり」とは、名古屋人にとっては郷土の英雄、太閤秀吉の馬印の千成瓢箪である。縁起もんだ。しかし家康公のお膝元では、ちょっとねえ。