一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

潔い

f:id:westgoing:20220217030320j:plain  


 『文藝春秋』恒例の芥川賞受賞作品掲載号。併せて創刊百年とのことで、特集読物が数篇並ぶなかに、宇能鴻一郎芥川賞・ポルノ・死』がある。

 作家志望のお若いかたに「講義」と称してお喋りしていた時代に、こんなふうに申したことがある。
 ――諸君は宇能鴻一郎をお読みでしょうか。そう、スポーツ紙や夕刊紙の隅に、毎日連載されてるポルノです。「課長ったら、いけないんです」「あっ、こんなところで、そんなこと……」「だのに、あたしったらなんだか、ジュン、としちゃって……」
 ――あんな文章なら、俺にだって書ける、なんぞと思ってはいませんか? 一週間代筆であれば、なるほど諸君にも書けるかもしれませんね。しかし彼はあのスタイルを自分で発明して、三十年間、毎日々々連載してきたのですよ。それ以前は、芥川賞作家ですよ。ものずごい、圧倒的な筆力なんです。

 ――お得意さんから嫌味を云われ、三十回も頭を下げ、上司に叱られ、また頭を下げ、ようやく一日を了えた会社員が、くたびれ果てゝ帰宅の途に。地下鉄に乗る直前にスタンドで夕刊紙を買う。そりゃそうでしょう。経済新聞だの岩波新書だのを、そんなときは読めませんとも。一面で巨人軍の昨日のホームランの記事を読む。
 私鉄に乗換える。中面をめくって、芸能人の不倫疑惑を読む。最近人気の風俗店情報を読む。ふと紙面の隅へ眼をやると、太線で囲まれたイラスト付きの連載小説が載っている。課長ったら、ウフン、なんてやってる。ついつい読む。
 次は降車駅だ。こんなもん、奥さんや子どもが待つ自宅まで持って帰れないから、網棚に放って降りる。またはホームの屑籠に放り込んで、改札を出る。

 ――たしかに役立ってる、動かぬ需要のある小説なのです。新人賞や芥川賞を目指して、夢のような泡を噴いている小説とはわけが違う、プロ中のプロの仕事です。
 筆力において、その足元程度になら及ぶという書き手は、残念ながら今この教室にはいません。

 宇能鴻一郎さんは八十七歳になられたそうだ。初期作品を集めて文庫化された『傑作短篇集』が売れているらしい。たくさんの女性読者にも注目され、版を重ねているという。
 満洲奉天で育った。街には阿片の甘ったるい匂いが漂っていた。市場で解体直後の生温かい肉や臓物に触れて、官能の手触りを覚えた。敗戦直後は、ロシア司令官の家で、裸で給仕させられた。
 福岡へ引揚げ、修猷館高校から東大国文科、やがて大学院へ。記紀歌謡(古事記や書紀に散りばめられた和歌)の研究。正義感というものを信用できないから、六十年安保のデモにもべ平連にも参加しなかった。同人雑誌から芥川賞へ。

 文壇付合いはしない。写真は嫌だからメディアのインタビューには応じない。テレビにはいっさい出ない。
 ミステリーには正義感が必要だから、書かない。ポルノには無垢な純粋さがあって、純文学に一脈通じると思っている。
 男にとって性は「出来事」だから物語になる。女を探すのに一日、口説くのに一日、逃げるのに一日。三日間の物語。女にとって性は「日常」だから、物語を形成しえない。女性のポルノ作家がいない理由だとおっしゃる。
 小説以外には、旅行記や美味いものを訪ねての随筆類。絶頂期には、月産執筆原稿千枚を超えた。

 横浜の小高い山のてっぺんに、六百坪の敷地。蔦の絡まる白亜洋館。壁面ひとつ総鏡張りの広間があり、ダンスパーティーを催す。
 ポルノから足を洗って、もうずいぶんになる。が、本は売れ続けている。文業の締め括りとして、新選組について構想をまとめている。
 武士道の時代は去ったと自覚したからこそ、剣に生きた土方歳三。命は終るが技術は伝承できると、明治時代にまで生きた榎本武揚。いずれも仇花には違いないが、時代の幕引きには必要な存在だった。美学はイデオロギーではない。

 宇能先生、美学はイデオロギーではございません。そこまでは同感でございます。しかしお言葉ではございますが、私は新選組が好きではございません。土方や榎本は例外的にマシな人物。ほとんどは、生涯芽も出ず居場所もなかった食い詰めものたちが、死に場所を求めて集ったに過ぎません。潔い死に場所……そんな好都合でカッコ好いカラクリが、この世にそうそうあるもんでございましょうか?