一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

念じる

f:id:westgoing:20220218135834j:plain

梅に鶯、ビールに餃子、誰が決めたか猪鹿蝶。

 ビールには餃子と決ったもんでもなかろうに。焼売の時期も長かった。ニラ玉にこだわった時期だってあった。6Pチーズと決めていた時期も。
 古人いわく。馬には乗ってみよ、女には迷うてみよ。若者の言を摂り入れて、餃子を焼いてみた。なるほど、かようなことであったか。

 ビールには餃子。なんのことはない。他愛なく洗脳されてしまった。いゝじゃないか、シアワセならば。
 以来あれこれ試した。肉タップリ高級餃子である必要も、ニラにんにく手加減なしの本格味である必要も、かならずしもないと検証できた。
 単品料理としての甲乙は、そりゃァある。しかし客人接待の会食ではない。我が独酌ビールの、それも主として口開け一杯目の肴である。値段・保存期間・入手難易度等の指数を掛けて、総合点で計算すると、「お徳用大袋30個入り冷凍野菜餃子」がもっとも上位である。「只今増量中36個」期間中であれば、なおのこと申し分ない。

 もともとビールを頻繁かつ大量に摂取するタチではない。酒や紹興酒や焼酎を常飲し、ウイスキーもジンも好む。それらを飲み始めるに先駆けて、なにはともあれビールを一杯、という嗜好は、居酒屋においてのみ示しがちな生態であって、宅飲みの場合にはない。
 もとよりビールを好まぬわけではない。それどころか、なにはなくとも、こゝはビール以外には考えられんデショという、時と場合がある。灼熱の盛夏のみにかぎらぬ。四季をつうじて、そのような気分になる時と場合がある。電気ストーブの前に腰掛けての厳冬ビールだってある。
 さような次第だから、年間飲酒日数の割に、ビールの年間消費量はさほど多いほうではなかろう。

 ありがたいことに、少ない消費量にちょうど見合う程度に、おりしも節季ごとに、ビールをお心遣いくださる、年若き友人がある。

f:id:westgoing:20220218205231j:plain

 ながしろばんりさんは、多芸多才の人だ。学生時代は、むろん将来作家たらんと志していたのだろうが、批評家のようでも、ジャーナリストのようでもあった。みずから視野を限定してひと筋道をひたむきに歩くというような、箱に入った性分ではなくて、好奇心・向学心の赴くまゝに、分不相応な主題にも果敢に挑まずにはいられぬ学生だった。
 一見したところなにが専門分野なんだか得体が知れぬジジイ、という興味から、私のもとへ現れるようになったらしい。私の不出来な点だけは、参考にして欲しくないと思ったもんだったが。

 資質は争えない。ながしろさんは、本職がなにか判らぬほどの才人となった。頼まれて本をまとめる編集技術者であり、注文に応じて原稿を書くライターである。高校演劇の台本を手伝ったり、その分野の啓蒙書を書いたり、戯曲集を企画したりもする。ウェブ管理者として、有名作家のホームページのデザイン・運営・管理いっさいを引受ける。イラストレーターだったり、効果音や映像のコンテンツ収集もする。その他、私などにはとてもじゃないが理解できぬ仕事を、いろいろやっているようだ。
 共働きの奥さんを助けて、お子たちの送り迎えや世話の大半を引受けている。おまけに、これは仕事にならぬが、私のボロコンが不調になると、すぐ復旧させてくれる。

 そのながしろさんが、季節ごとにお気遣いくださってきたのが、缶ビール詰合せというわけだ。毎回まことに助かっている。
 「躰にはおゝいに悪く、精神の健康にはこの上もなく結構なものを、ありがとう」
 さようお礼状を書くことにしている。

 ところで、判で捺したように、毎度ビールを贈ってくださるには、もうひとつ理由があるのではないかと、じつはひそかに勘繰っている。
 彼はお気の毒に、宿痾のごとき痛風持ちである。自分では思う存分に飲めないので、せめて私には、飲ませてくださろうと、思っているのではあるまいか。さらに勘繰れば、私も早く、彼同様の痛風病みになりやがれと、念じておられるのではなかろうか。きっとそうだ。