一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

裸を観る

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矢代幸雄(1890‐1975)、『隨筆ヴィナス』(朝日新聞社、1950)
装幀・題簽・外箱カット 梅原龍三郎

 「感覚のごちそう」。矢代幸雄は美術作品を定義して、しばしばさよう表現した。近代主義的・哲学的・心理学的・人生論的、つまりはあらゆる理屈っぽい芸術理解を嫌った。あくまでも鑑賞しての心地好さからのみ、美術作品とその歴史を語った。

 美術学校系が幅をきかせる時代、一高~東京帝大出身の矢代は芽を出しにくい時代だった。ヨーロッパ留学。フィレンツェでバーナード・ベレンソンに師事した。アメリカ人だが祖国に住み憂くて、イタリーに住んでいたルネッサンス研究の世界的権威だ。
 オックスフォードのケネス・クラークは、同じ時期にベレンソンのもとで学んでいた、いわば矢代にとっては同門の後輩だ。西洋美術史を時代順・傾向別に分類して映像紹介した、イギリスBBCによる長い長いシリーズ『文明』は、NHK教育TVで全篇翻訳放送された。そのすべての案内解説者として、かすかに首を傾けて茶の間に語り掛けた、全白髪の英国紳士として、ケネス・クラークを記憶する日本人もあることだろう。

 矢代はロンドンで、イタリー各地で、各国で、サンドロ・ボッティチェリにとことん酔い痴れた。三十五歳のとき、英文の大著『サンドロ・ボッティチェルリ』を著す。
 美術研究の技法として画期的だったのは、部分拡大図版の多用だった。眼付き・表情・手の指先・足の爪先など、細部表現の特徴とそこから受ける印象を率直に、ときには東洋美術と比較したりもしながら、大胆に述べた。当時ルネッサンス美術研究の大家と目されていたヨーロッパ人学者たちとは異なる見解も多かったから、叩かれ、論争も巻起した。ユキオ・ヤシロの名はその分野に知れ渡った。

 その本は、三十年ほど前だと、一心堂や北沢書店の棚では時おり視かけたもんだったが、はて、今でも入手可能なのだろうか。
 矢代本人も希望してはいたそうだが、日本語訳は生前には成らなかった。吉川逸治・摩寿意善郎監修、高階秀爾ほか分担訳、つまりお弟子たち総がかりにより、著者歿後の一九七七年に、岩波書店から刊行された。
 これも三十年ほど前の情報だが、ボストン美術館の来館客用イヤホン解説で、ボッティチェリ作品の前で聴く箇所では、矢代の言葉が引用紹介されていたとのことだった。現在はどうだか、知らない。

 松方コレクションに、ゴッホルノアールを買っておけと進言した。今は西洋美術館所蔵になっている。横浜三溪園を戦災から復旧させてゆくさいに、意見具申した。大和文華館構想に携わり、初代館長を務めた。
 いずれも偉業ではあろうが、さしあたり私には興味ない。それより質量ともに圧倒的な著書群である。

 『隨筆ヴィナス』は、イタリー、ギリシアをスタートして、アルプスを越え西欧各国、北欧諸国まで、古今の裸体画と裸体像をひたすら観て歩いた、その記録だ。
 地中海沿岸では、ボッティチェリにおいてのみならず、絵画・彫刻のモデルたちは惜しげもなく美しい裸体を人目に晒している。観て欲しいもっと観て欲しいと、脱ぐことに悦びを覚えているようですらある。
 アムステルダムの美術館にも裸体画はあり、コペンハーゲンの駅前にも、ストックホルムの公園にも噴水はあり、そこには裸体彫刻がある。が、モデルたちは、地中海岸のモデルたちのように、歓喜に躍る裸体を晒してはいない。寒そうだというだけではない。考えに沈んでいる。辛そうですらある。その代り、深い内面性、貫かれた精神性。
 裸族たちは、ルネッサンスとともに南から北へと広がるなかで、なにを失い、なにを帯びていったのだったろうか。

 裸体のみではない。たとえば教会建築の窓枠や天井構造のアーチ。イタリーでは上部が半円形のロマネスクアーチで十分事足りた。それだけでも、真上から照りつける陽光を受けて、くっきりと陰影が生じた。神秘的気分を醸成できた。
 陽光を斜めから受ける北方にあっては、ロマネスクアーチではのっぺらぼうで陰影が出ない。四本柱から対角線方向に伸ばしたアーチを中央で交差させることで、より高い位置からの重力に耐えられるという十文字の力学構造を発見した。教会も城砦も、さらにさらに高い精神性を求めて上へ上へと伸びる。ゴシックの発明である。
 イタリーにはゴシックがない。言葉にすれば、たったその一行だ。ヨーロッパ中をてくてく歩いて、我が眼で一つひとつ観て、その揚句に到達した一行だ。おびただしい数の実証図版を添えて、その一行が本書に証明されてある。

 考える・感じるということを、まだやめていなかった若き日、私でさえ、ヨーロッパに西と東とがあることは知っていた。ソ連邦という国家があったことで、気づきやすかったのだ。が、ヨーロッパに南と北とがあることは、薄っぺらな情報としてしか知らなかった。つまりなにも知らなかった。
 『隨筆ヴィナス』は視覚による嫌も応もない実感をとおして、ヨーロッパに南と北とがあることを、教えてくれた。
 聖書を読んでも、宗教改革を勉強しても、そんなこと解らない。裸を観れば解る。