一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

本当です

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  拙宅内いずれの部屋へも、携えて移動する相棒は、旧式な電気ストーブだ。いつ頃から拙宅にあったものか、記憶していない。

 燃費効率も悪いに違いない。今では「省エネタイプ」とでもいうのか、軽便で効率の良い製品が出回っていることだろう。でもスイッチを入れると、棒状のヒーターが赤くなって、熱が出てくれるから、使い続けている。
 パソコンを設置した居間にも、台所にも、生前父の仕事場で今は物置を兼ねたユーチューブ収録スタジオとなっている部屋にも、提げて歩く。 
 昼夜逆転に近い悪習が日常化しているから、私が目覚めている時間の大半は稼働している計算となる。冬季の電気代は、跳ね上る。

 いずれの部屋にも、エアコンが設置されてはいる。が、もう何年になるだろうか。スイッチを入れたことがない。
 ある年の夏、奇怪な妄想が浮んだ。夏は、暑いあついとぼやきながら、汗を拭きふき過すのが、人間として動物として、正しいのではあるまいか。あるべき姿なのではあるまいか。試しに、エアコンのスイッチを封印してみた。

 その当時は、本とノートを鞄に詰めて、喫茶店をハシゴしながら仕事する習慣もあったし、躰に障るほど暑ければ、銀行も郵便局も、スーパーやコンビニも近所だから、無理矢理用事を作ってしまえばよい。
 日に五回もシャワーを浴びる、などという習慣も芽生えた。はじめは不用意に洗ったりシャンプーしてしまい、全身の皮脂が剥脱してしまって、皮膚疾患に悩まされたりもした。涼を取るためのシャワーおよび水風呂においては、けっして躰を洗ってはならぬという、貴重な教訓を得た。
 暑さのピークはあとわずかとか、暑さ寒さも彼岸までとか、呪文を唱えているうちに、とうとうひと夏越えてしまった。

 なぁんだ、という想いがした。となると、次なる興味が湧く。冬はどうだろう?
 大昔の受験生時分の方法を思い出して、机の下に発泡スチロールの板を敷いた。到来物の箱などである。膝掛け・肩掛けなどの世話になった。亡母が残したショールだのなんだのが、山ほどあった。
 旧式の電気ストーブが眠っていたので、起した。今の相棒である。
 それやこれや小物を活用することで、どうやらひと冬越してしまった。味を占めて翌夏、さらに翌冬と過すうちに、ただ今現在に至っている。

 小物のうちには、二畳敷きほどの電気カーペットもあった。二年ほど使ってみた。具合悪くはないのだが、とかく私の居場所周辺には、本だの文具雑貨類だの書類だの、しょうもない荷物が積み上ってゆくのがつねで、つまりは道具や品物を温めるためのカーペットとなってしまう。二年でやめた。
 

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 相棒の電気ストーブ以外に現在稼働中の暖房器具としては、足元を局地的に温める小型温風器が三台。トイレや台所で働いている。
 介護時代、年寄りに急激な温度変化は禁物との観点から、トイレやら脱衣場やら、要所に配置した小道具である。熱量の点では、はなはだ頼りないが、今でもたしかに生暖かくはあり、ないよりはマシかと、稼働させている。拙宅の暖房器具は、これだけだ。

 父は自分で各部屋にエアコン設置を指示したくせに、床に着くようになってからは、エアコンの風に当ることを極端に毛嫌いした。ほんのわずかのエアコン風にも、眉をしかめた。冬の温風も、夏の涼風もである。
 ドクターからも、エアコンからの風はあまり感心しないとの、ご指導をいたゞいた。
年寄りには、あるいは病人には、あるいは認知症患者には、エアコン風はよほど不快なものなのだろうと、想像した。

 そこへ行くと私はまだ、エアコンから吹き来る風を、不快と感じていはない。断じて感じていない。エアコンを稼働させないのは、別の理由です。本当です。