一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

モーニング

f:id:westgoing:20220227083556j:plain


 珈琲館でモーニングセットなるものを、いたゞいてみた。

 ゲラ戻しを急ぐというので、校正済みのゲラを編集部に持参した。正門守衛所付近。歩哨兼案内に立つかた、アルコール消毒器と体温測定機のデスクで視張ってるかた、受付窓口で入構者名簿を管理するかた。正門周辺の制服組とは、ほとんど顔馴染だ。
 「入られますか?」
 「いえ、できれば編集部のどなたかを、呼出してください。だれも手が放せないようであれば、ご面倒ですが、一時こちらへお預かり願いたいのですが」

 勤務するころは、出勤名簿の自分の欄に、サインするだけで済んだ。退職すれば部外者来訪扱いとなるから、訪問部署だの用件だの、入構時刻だの退構予定時刻だのを記入して署名しなければならない。走り書きのサインではなく。フルネーム署名である。そしてようやく入構証なる紐付きのカードを受取って、首から吊るす。
 すみませんねぇ、規則なもんで、という顔をされる。何年にもわたる顔見知りがただ。なんとかならんもんですかねぇと、申しわけなさそうにおっしゃってくださるかたもある。いえいえ、用済みの老いぼれが気紛れにお訪ねしてるんですから、当然ですよと、こちらも応える。

 在職中から、守衛所や食堂や図書館に勤務するかたがたとは、親しかった。教員楽屋で、助手君たちに向って、磊落を装って偉そうに話しかける連中や、なにやらむずかしいことを考えているみたいに、無愛想に澄ましこんでいる連中に、こちらから話しかける気なんぞ、さらさらなかった。
 構内の植木手入れに入っている職人さんがたと、喫煙所などで話しこむほうが、よほど愉しかったし、感心させられる噺も聴けた。

 思い起せば出版屋だったころも、出入りの印刷屋や製本屋の担当さんに、やたらと横柄な口をきく同業者に、心底虫唾が走ったものだった。職業上の立場と人間性とは、本来無縁のものだ。さような意味を口にしようものなら、だからお前は舐められるんだと叱咤されたものだった。

 というわけで、今日も担当の編集部員に守衛所まで降りてきてもらって、ゲラを手渡し、では、あとはよろしく、との運びとなり、踵を返した。いつも体調や天候の話題を交換する古参の守衛さんに、挨拶した。
 「おそらくこれが最後となりましょう。退役老馬に運ばせる荷物はもうないでしょうから」
 顔を視知って二十年以上にもなろうが、最後まで彼の名を知らぬまゝだった。

 めっきり減った外出の機会に、かすかに心弾むものがあって、駅を迂回して、しばしあてもなく街をぶらぶらした。珈琲館に入った。
 ともかくゲラ戻しを少しでも早くとばかり考え、昨夜から食事していなかったことを思い出し、モーニングセットなるものを注文した。かようなものを口にするのも、ずいぶん久かたぶりだ。

 出張族だったころ、各地の喫茶店でモーニングサービスなるものを食した。零細出版社の出張費は乏しく、各都市最安値のビジネスホテルを常に頭に入れておこうと、心掛けたものだった。
 最低宿泊費に三百円増しで朝食付きというホテルもあった。朝食は遠慮した。いち早く街へ出て、珈琲に無料モーニングサービス付きという喫茶店に飛込んだ。たいていは厚切りトースト一枚に茹で玉子一個だった。それでも、さぁて今日も注文取ってやるぞおと、元気が出たものだった。

 神戸から山口までの山陽道は、得意とするコースだった。岡山だったら、紀伊國屋さんから丸善さんまでは眼をつぶってでも行けたろうし、表町界隈のカラオケスナックや桃太郎大通りの寿司屋にも馴染みがあった。だが出版屋としての二十三年間に、岡山後楽園には、ついに一度も行ったことがなかった。
 広島だったら、紙屋町交差点を出発点に、積善館さんや廣文館さんの店長さまとは「やぁ、どうも」と挨拶できる間柄にはなったし、流川・薬研堀あたりのバーや牡蠣鍋屋も知っていた。だが安芸の宮島には、とうとう一度も行ったことがなかった。
 出張とはそういうものだ。お客さまとだったら遊興しても、自分独りなら一円たりとも使う気にはなれない。

 喫茶店のモーニングサービスったって、土地により、店により、いろいろあったなぁと、思い出せるものもあり、どうにも思い出せぬものもある。
 週末午前の珈琲館では、動画を観てるんだか、ゲームに興じてるんだか、スマホに釘づけのお嬢さんがある。クロスワードパズル専門誌に、鉛筆でなにやら書き込んでいる六十年配の親爺さんがある。今済ませてきたばかりの買物の品とレシートとを、丹念に照合している五十がらみの奥さんがある。
 私は、店内の顔々を観まわしては、またモーニングセットに眼を落す。