一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

行かなくっちゃ

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 井上陽水さんは、たしか傘がないんだった。それに比べて私ときたら……。

 冷蔵庫に生肉・鮮魚が見当らないのは、いつものことだ。仕入れると、たいていはその日に使ってしまう。というより、献立の目星がよほど明確でないかぎり、生肉や鮮魚を買うことがない。即日使用、遅くとも翌日使用だから、タイムセールや消費期限付きの値引き商品は大歓迎である。
 ふだんの食事には、加工肉(ソーセージ・ベーコンほか)や加工魚(干物・酢漬ほか)があれば十分だ。手抜き・ものぐさを決め込んでいたら、いつのころからか、こうなってきた。
 たゞし玉子は欠かせない。というより、切らすわけにはゆかない。

 それにしても、ただ今現在の冷蔵庫の過疎加減。尋常ではない。
 作り置き惣菜がない。野菜の揚げびたしが昨日でめでたくヤマ。ヒジキ豆はこの一食分(正確にはその半分)を残すのみ。
 買い置き加工惣菜が軒並みヤマヤマ。小肌の酢漬と数の子のワサビ漬が、いずれもあと一食分。梅干が昨日ヤマ。ニンニクのシソ漬は一週間ほど前に姿を消したが、急ぐこともあるまいと、補充せぬまゝになっている。

 こういうときには、余りものをなんでもかんでも刻んで炒める、という策が常道だが、その野菜類が揃いも揃っていっせいに出払った。味付け用の生姜を残すのみだ。
 易学ではいかゞおっしゃってるか、まったく無知なのだが、食材というものは、尽きるときにはいっせいに無くなる、という傾向が、どうもあるような気がする。
 冷蔵庫に生肉・鮮魚がないことには、なんの痛痒も感じないが、野菜の姿がまったく見えないのには、なんとも云えぬ渇きを覚える。主客あるいは順序が違うだろうと、おっしゃる向きもあろうか。いゝや、価値判断基準の主客は、人それぞれである。断じて、単一ではない。

 熊本大地震のとき、熊本市出身のお若い友人が身近にいた。
 「交通やライフラインも滞って、市民の皆さん、さぞや大変だったろうねぇ。ご家族には被害ありませんでしたか?」
 「近所にも建物の被害がかなり出た模様です。でもそんなことより、熊本市民にとって一番のショックは、お城の石垣が崩れたというニュースでした」
 そこかいっ! と思うのは、こちらが余所者だからだ。心の支え、価値判断基準の主客というものは、当事者の内側ではいろいろである。
 加藤清正公や天下に並びなき名城熊本城が、市民にとってはどういう存在だったか。好い噺をうかゞったと、そのときも思った。

 熊本城には及びもつかぬが、我が冷蔵庫に野菜の姿がないのは、由々しき事態である。かと申して、この程度の兵糧攻めにチルドカレーだの缶詰スープだのを取出したのでは、いさゝか沽券に関わる。蕎麦饂飩という手もなくはないが、それらは日の第二食の食材。冷凍餃子・冷凍焼売は、飽くまでも酒肴の役回り。第一食は粥飯を中心とした和食に限る。


 本日苦戦を強いられるだろうことは、予測していた。が、この数日、珍しく用件繁多で、買物に行けなかったのだ。いや違う、片道徒歩五六分の道のりに過ぎぬ八百屋・スーパーに、行けぬはずはなかった。正直に申せば、買物の気分ではなかったのである。
 一人家族の哀しさ。今日は仕事モード、今日は家事モードといった、気分の方向があって、兼用モードで効率良く動けばよろしいものを「ま、いゝか」でナアナアにやり過してきたのだった。つまりは自業自得である。

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 ともかくも残余の散兵を駆り集め、戦力を確かめる。加えて、側近の近衛兵とでも申すべきか、常時配備の玉子・ウィンナソーセージ・納豆の出動。あと一品はと思案。長期保存組から、こゝぞとばかりにモズクの援軍。さいわい生姜はあるので三杯酢は満足ゆくものができる。

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 さような苦戦のあげくではあったが、本日もめでたく完食。ことのほか美味なるインスタントコーヒーにまで、辿り着いた。
 さて明日こそ、野菜がない。行かなくっちゃ。