一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

文才

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アンブローズ・ビアス(1842-? )

 『悪魔の辞典』はいきなり、こんなふうに始まる。
 ――愛国者 部分の利害が全体のそれより大事と考えている人。政治家にコロリとだまされるお人好し。
 ――愛国心 ジョンソン博士の有名な辞典では「無頼漢の最後の拠り所」と定義しているが、正しくは「最初の」。
西川正身先生の名訳そのまゝではありませぬ。あしからず。以下もさよう。)

 作者アンブローズ・ビアス南北戦争北軍に志願。弾雨のなか瀕死の戦友を救出するなど、勇敢な兵士だった。やがて尉官に昇進した。よっぽど悲惨な場面に立会い、視たくもなかった人間の本性を眼にしたのだったろう。およそ性善説のかけらすら視当らぬ文章であり、作風だ。
 十三人兄弟の第十子だったが、下三人は幼くして他界。事実上末っ子として成長した。家風に馴染めず、印刷工となって家を出てからは、一人の兄以外の家族とは、疎遠になったという。そんなことも、冷笑的な人間観の形成に与っていたろうか。

 短篇作家ではあるが、むしろジャーナリスト、コラムニストの匂いが強い。七十一歳にして、混乱のメキシコ革命を取材に行くと云い置いて出て、そのまゝ帰らなかった。
 『悪魔の辞典』はじつに二十五年にわたって、週刊誌・新聞に折おり書かれたコラムや連載記事の集大成。毒舌、反骨、切口の鋭さ、表現の斬新さ。いずれも独壇場だ。
 もちろん後進へは強い影響を残した。日本でも芥川龍之介はこれをヒントに『侏儒の言葉』を書いた。現代にあっても、ショートショートの作家たちや、風刺小説作家たちにとってはバイブル的存在である。

 ――長篇小説 水増しされた短篇。短篇に対して長篇小説は、絵画と四面壁画の関係。一気には読み切れず、次つぎ展開するため、まとまった印象を得られない。今読んだ数ページより前の記憶は、筋しか残っていない。つまりは事実報道の一種。
 ――ロマンス 「あるがまゝの人生」に対して、なんら忠誠の義務を負わぬフィクション。小説が飼い馴らされて手綱を柱に繋がれた馬なら、ロマンスは放し飼いの放牧馬。想像力のかぎり思う存分に駆け回れる。小説家は、物語など始めから終りまで嘘っぱちであるにもかゝわらず、この世に起らぬことを想像することが許されていない。

 初出がいつかは、私には調べようもない。本にまとまっての刊行が明治三十九年(一九〇六年)。島崎藤村『破戒』が刊行された年だ。
 近代小説が描くべき真実とはどういうものか? この世の事実そのまゝと文学上の現実味との関係は? 日本でも合衆国でも、作家たちは暗中模索しながら、定義はいまだ定まらずに揺れていたとみえる。

 ――連載物 新聞か雑誌数号にわたってだらだら続く文学作品。前を読まなかった読者向けに「前回までのあらすじ」が添えられることもある。できれば「今後のあらすじ」も欲しい。「全体のあらすじ」ならなおのこと結構。読むつもりもない読者にも好都合だ。

 身も蓋もない。笑いの境界を越えて、関係者のだれかを怒らせるに十分な斬れ味と毒味だ。じっさい怒らせた。ビアスの精神状態を心配する人さえあった。かつてない卓越したユーモアと、絶賛した読者も、むろんあった。
 痛々しくも凄まじい才能だったと、私は思う。読者を本気で怒らせたり、腹の底から笑わせたりすることなど、並の文才の為せるわざではない。凡百のちまちましい怒りや笑いなら、うんざりするほど溢れているが。

 私は「作品」などを求められるほどの書き手ではなかったから、書評だの解説だの、埋草仕事がずいぶん回ってきた。ご存命作家を扱わせていたゞいた場合には、いちおうの仁義までに、掲載誌紙か記事切抜きかをお送りしていた。
 チョイ辛口批評には「ご理解願えなかった」と反応された。チョイ誉め批評には「ご慧眼に感服した」と礼状が来た。大誉め批評には「君ぃ、困るよぉ」と返事が来た。激烈辛口批評は、書いたことがない。反応を怖れているのではない。むずかしいのだ。ユーモアを維持しつゝ、読者に通じるように悪口を書くのには骨が折れる。才能が要る。

 悪口や喧嘩を仕掛けたほうが、原稿は売れる。新人はデビューしやすい。ひょっとして論争でも起きようものなら、雑誌・新聞が儲かるからだ。
 だが文才不足のまゝ悪口を芸として売出した書き手は、結局は伸びない。伸びが止ってから料簡を入換えても手遅れだ。雑誌・新聞が骨を拾ってくれるわけではない。はなから我らは、使い捨て要員である。それでも這い上って来る奴は来いっ、という渡世だとは承知。
 這い上るに苦労するくらいなら、初めから落ちなければよろしいだけのことだ。ビアスほどの文才がないのであれば、おとなしくしていればよろしいだけのことだ。