一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

はずがない

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拙宅ほゞ唯一の遊興機器、兼世間情報収集装置。

 またも武内陶子さんの「ごごカフェ」だが、今日の投稿テーマは「私の好きな花」。こういう話題が交わされる季節になったと報される。
 梅が桜が、レンゲがスズランが、花壇が鉢植えが水耕栽培がと、いっせいに耳よりな投稿が押寄せた。ラジオが花の話題に飢えていたかのようだ。

 ――主人は花の名前をなんにも知らない人です。あるとき帰るなり玄関から大声、「おゝい、花買ってきたぞぉ」。水仕事で手が離せなかったワタシ。「なんの花ぁ?」「チューリップぅ」。まぁ早い! ハウス栽培の開花調節ものね、お洒落じゃないの。台所を手早く一段落させて行ってみると、シクラメンでした。――
 ラジカセの前で、インスタントコーヒーを飲みながら、独り大声で笑い転げている老人を、人がご覧になったら、いかゞ思われることやら。

 ――ワタシの名前には「菜」の字が入っています。気に入ってます。結婚式では、ブーケにも髪飾りにも、菜の花をあしらっていたゞき、とても嬉しかったです。保存加工して実家にも、義実家にも置いています。――
 「まぁ素敵! いゝわねぇ、ワタシももう一度、結婚式したくなっちゃったぁ」
 おそれながら陶子さん、それって、危険思想ではないのでしょうか? ま、お気持の流れはよく伝わってまいりますし、誤解はいたしませんが。

 好きな花は、と問われて、軽い話題の場面では、(季節違いだが)コスモスと答えてきた。花の姿は一見華奢で清楚だが、じつに強い植物だ。強風の影響をやり過すべく、葉も茎も極限まで細くする方向に進化してきたと見える。それでは折れやすく千切れやすいかというと、そんなことはない。繊維の構造がどうなっているものか、踏んづけられても、なかば折られても、時間をかけて起き上ってくる。そしてあの色と姿である。
 コスモスのような女でいたい、などという台詞を耳にしたら、細身で清潔で、けな気でひたむきな女性像なんぞを思い浮べてはならない。コスモスのようなというのは、シブトイという意味である。男が陥りやすい落し穴だ。

 気軽な話題でなく、美意識を真剣に問われる場面では、寒蘭(カンラン)と答えている。地味で目立たぬようでありながら、よくよく観察してみると、世にこれほど気高い想いに誘われる花もあるまい。
 花の写真集を眺める趣味はないが、寒蘭の名品だけは別だ。写真集で眺めても、その魅力は格別である。
 では寒蘭のごとき女性は? それはご遠慮しておこう。あまりに畏れ多い。いや、それより前に、そのようなご婦人がいらっしゃるはずがない。