皿にこびり付いたソースをひとしずくも余さず舐め尽そうとするかのように、『明暗』一作を、これでもかとばかり精細に読込んで、解きほぐした一冊が出た。
細谷博さんは南山大学名誉教授。日本近代文学研究ひとすじの学究、つまり専門家だ。が、その研究姿勢にもご著書にも、同業の専門研究者たちを説き伏せようとの意図は見えたことがない。そんなことより一般の読書家・文学愛好家に向けて、名作がなにゆえ名作か、文豪たちがどれほど深く思いをいたして創作したかを、語って来られた。
お立場上、発表された文章が学界(文学研究という業界)内の出来事たるを避けるわけにはゆかないから、業界人たちの評価だの論争的性格だのを帯びざるをえなかったが、細谷さんご自身にとっては、どうでもよろしい問題だったように見える。
最初の論集『凡常の発見―漱石・谷崎・太宰』(明治書院、1996)は衝撃的だった。それまでの研究者(業界人)が、主題だの思想だの、方法だの技術的達成だのと、文学の骨組や表面の見映えを論じ過ぎるきらいなしとしなかったところへ、作中の空気を感じよ、匂いを嗅げと主張したのである。
作中人物たちもまた丸ごと一個の人間であるからには、作者の筆に描かれなかった時間でも場所でも、暮していたはずだ。それを作者は十分に知っていたはずである。とすれば、描かれた部分を深く読取れば、それが見えてくるにちがいない。
人物たちのなにげない素振り、ふとした眼つき、無意識な言葉尻。どうでもいゝことなど、作家は書いていない。そういう点にこそ、彼ら彼女ら、登場人物たちの人生の具体的内実が垣間見えるはずだ。なぜそれを読まぬか、との提唱だった。
当時私は、それまでタンパク質・脂質・糖質の含有比率ばかり論じてきた業界に、食物繊維の重要さを提起した論が現れたと、書評した憶えがある。
私ごときには退屈な長大作としか読めぬ、谷崎潤一郎『細雪』に分け入って、空気や匂い、視線や眼つき、素振りや言葉尻を味わい取っての立論は、見事だった。
以後、小林秀雄についての論集、太宰治についての岩波新書などをまとめられたが、「凡常」への着眼はつねに、細谷さんの読解法の根柢をなし続けてきた。
大著『所与と自由』では、それまでに触れられた漱石・谷崎・小林・太宰についての拾遺に加えて、森鴎外・徳田秋声・志賀直哉・室生犀星・佐藤春夫・川端康成、そして戦後現代の三島由紀夫・遠藤周作・村上春樹と、細谷さんによって検討されたほとんどの文業が収録された。
これでめでたく細谷教授もご定年と、祝意をおぼえた向きも少なからずあったことだろう。が、どっこい、名誉教授(旗本退屈男)となられたはずが、途方もなく執拗なエネルギーを必要とされるはずの、漱石『明暗』徹底精読という本書が世に出た。そしてこゝでもキーワードは「凡常」である。
「凡常」は辞書にもあるれっきとした日本語だ。が、恥かしながら私の語彙にはなかった。「月並」「平凡」「ありきたり」などと表記してきた。が、細谷さんの「凡常」にはそうした意味に加えて、「長年かように生きてきた」「普通に繰返されてきた」「それでなんの不足もなかった」など、時の経過によって帯びるにいたった「凡なるものの重み」といったニュアンスがある。いや、そのニュアンスこそが肝心な点だ。
今後、文学作品に歩み寄ろうと企てる後進がたには、せひとも念頭に置いていたゞかねば困る指標である。
細谷さんとは同齢で、知合ってから長い。同人雑誌を起そうかとの下相談メンバーとしてご一緒した。細谷さんは途中で脱けられ、私は創刊に加わった。かように俗塵にまみれた連中に足を取られてはかなわぬと、思われたのだったろうか。あの時もしも、というようなタラレバを想ったことは一度もないが、正しいご判断をなさったのだろう。
四十年あまり経って今振返れば、彼我の相違は歴然。おそらく私のほうが優っているだろうと確信できるのは、生涯に飲んだ酒の量と、犯した悪さの数くらいである。
けど細谷さん、アンタより俺のほうが、凡常ですぜ。