一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ならじ

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田中小実昌(1926-2000)
文藝春秋 芥川賞直木賞150回全記録』より無断で切取らせていたゞきました。

 表立ってのお役目を了えて、人さまになんら影響することありえぬ身になっての無責任ゆえに、見えてくることもある。

 「近代文学」という古典芸能の一分野のなかでのみ、私は生きている。
 文学は役割を終えたなどと、わけ知りをのたまうかたもおいでだが、ばかを云っちゃあいけない。人が生きてるかぎり文学はなくなりゃしない。たゞ「近代文学」にあった暗黙の約束事のいくつかが、守られなくなるだけのこと。
 次なる文学はどんどん出現する。たゞそれらを吟味する尺度としては、私の文学観は役に立たない。次はどうなるかを予感・予言する力もない。将来の創作に資する意見などは持合せない。求められても、ごめんである。

 昔、第一級の見識人にして能楽の見巧者だった先生の、こんな随筆があった。
 ――六十歳以前は、好き嫌いの観点から能を鑑賞していたものだった。そのころからは、巧いなぁと感嘆する舞台に出逢うようになり、巧拙を基準に能を観るようになった。七十歳を過ぎた今、正しい能と格から外れたよこしまな能とを考えるようになり、いわば正邪を基準に舞台を観ている。
 齢を重ねるほど尊いと、なにからなにまで尊重する必要はないけれど、この場合は、伺いおくべきご意見かと。

 新たなワインは新しい革袋に詰めてもらえばよろしい。たゞ「近代文学」がこゝまでやっておきましたという、正しいバトンくらいは、整理して取り揃えておくほうが便宜だろう。
 未来へ語り残す昭和の文学との観点から、田中小実昌の作品は大切だと考えている。だったらお前が、きちんとした評伝を書け、基礎研究をしろ、と云われてしまうところだが、口惜しきかな私の力には余る。

 田中小実昌生涯の仕事のうちの、重要な部分である、海外ミステリー小説の翻訳という分野について、私には基礎知識がなさすぎる。自分の言葉で原稿を書く文士となる前の田中さんの主要な仕事は、この分野だ。
 また私には、アメリカ合衆国でのキリスト教事情にも、まったく基礎知識がない。お父上がアメリカでキリスト者となられ、その後の特色あるご生涯を過されたことが、田中小実昌文学に大きく影響しているが、私には想像及ばぬ点が多い。
 ひいては晩年の田中さんが、しばしばアメリカに長期旅行され、ご本人の言葉によれば「ふらふら」してやまなかった心持ちの芯のところは、私の想像力では届かぬ点が多い。

 わずかに私に解るのは、風俗的人間像をユーモラスに活写した、直木賞受賞作とその周辺のいくつかの短篇小説と、短篇集『ポロポロ』収録の従軍小説群、お父上を探求した『アメン父』だ。これらは、近代小説の公式や定理を組合わせて、なんとか解ける。しかも解いたあげくに、これは近代小説の枠内に収まりきらない、将来の文学に引継がれねばならないという結論が明らかになる。

 田中小実昌作品を最初に取沙汰したのはいつだったか、もう記憶になかった。さいわい活字にしてあったので、今記録を視たら、一九八三年のことらしい。
 掲載した同人誌を、当然ながら田中さんにもお送りした。最低限の礼儀であり、仁義である。ご丁寧に、受取りおはがきを頂戴した。
 「わたしのことを評論する人があらわれるなんて、ビックリしました」
 という例の調子の、人を食ったようなユーモラスなお言葉だった。
 後年田中文学は、あちこちで取沙汰されるようにはなったが、たしかに私は早いほうだったかもしれない。当時はまだ田中小実昌は、翻訳もするエロチーク・ユーモアの雑文書きみたいに世間では思われていた。

 四十年ちかく経った今、私が知る文学作品のうちで、次の時代へ申し送るべきものはと考えて、この人を想い出す。しばらく考えてみようか。

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 そんなことより、本日の拙宅の桜情報。昨日よりいちだんとツボミが大きい。が、まだ開花とは申せない。
 桜のとなりで、なにかと引立て役に回されてしまっているカリンも、後れをとってはならじとの様相である。

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