一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

嫩芽

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 日いちにちと春めいてくる噺ではなくて、日ごとにゴミ屋敷とまりまさる拙宅の深刻問題。改善に向けて、日和の好い日には一歩でも前進をと、厚紙箱と段ボール箱を宅じゅうから大招集。解体作業に手を着ける。
 なにかに役立ちそうだと、完全解体せずに積んでおく貧乏性が仇となって、驚くほどの量となっている。

 母は、蓋つき瓶だの小箱だの割箸やスプーンだの、到来品や商品の附属品を棄てずに保管して、巧みに什器道具として活用する人だった。農家の娘として家風に育まれたものだったろうが、敗戦後の極貧主婦として磨きがかゝた性分でもあったろう。
 その気性を私は受継いだものゝ、活用できるものかできぬものかの判断力と、活用技術とは、受継がなかった。遺伝とは、両親のマイナス面のみを摘みとるような伝わりかたをすると、聴いたことがある。知恵は遺伝せずに、性癖だけが伝わったわけだ。

 零細出版社の賭けだし社員だったころ、その道の師匠も手本とする先輩もなかった私は、取引業者の職人さんがたのあいだを、よく歩いた。印刷屋・製本屋は大規模と端物屋の両方を、紙問屋・ビニール貼り加工屋・広告代理店。印刷会社の下請けにあたる、活字屋・インキ屋・紙型屋・鉛板屋・写真製版屋なども見せてもらった。製紙工場も見学した。
 あたかも時代は、活版印刷時代から平版(オフセット)印刷時代への急速な転換期。津波のごとき巨きなうねりに対しては、だれも抗いようがなく、現場の職人さんがたの、
 「こんなことをするのは、俺がもう最後だろうさ」
 という台詞を、あっちでもこっちでも聴いた。

 大手の紙問屋で、紙のいろいろを見せてもらっているときのことだった。
 「ときに、日本が世界で一番の紙って、なんだと思います?」
 案内してくださっていた課長さんから、ふいにナゾナゾを出された。咄嗟のことに頭も回らず、とりあえず和紙の伝統があることを思い出して、
 「書画の用紙や、建具加工用の耐久紙でしょうか?」
 「私は社命でヨーロッパとアメリカ、まずおゝかたの紙を視て歩きましたがね、どの国だろうが日本に太刀打ちできないのは、ザラですよ。ザラガミ。皆さんがワラ半紙と称んで、謄写版印刷でプリントなどに刷ってきたやつです。これほど安く丈夫で、使い勝手の佳い紙は、世界じゅうどこにもありゃしません」
 何年何月ころのことだったかも思い出せないが、この日私は、とてつもなく巨きなことを教わったと、後年想うようになった。

 日本の職人衆が、ザラ紙に賭けてきた想いと技術。それは現代では、段ボールに継承されている。段ボールの製造技術において、製品の性能において、種類や加工アイデアの多彩さにおいて、活用範囲の広さにおいて、日本に対抗できる国がそうそうあるとは思えない。我が国は、段ボール大国である。

 東京オリンピック選手村のベッドの話題が、世間を(世界までをも)賑わせた。ベッドの耐久性を動画にしてアップしたイスラエルの青年選手諸君が、またこゝぞとばかりに、日本は貧相だと鬼の首を取ったように騒ぎ立てた某々国のネットユーザー諸君が、お気付きでなかったことがある。それらに見当はずれの反論をした日本人諸兄も、ご存じなかったことがある。
 日本の職人がたは黙っている。美しい。不肖私も文筆職人の端くれではあるが、唯一美しくない、はしたない職人だから、ひと言申しあげさせていたゞく。
 「失礼ながら、お国の段ボールかボール紙で、こんな芸当が、おできになりますか?」
 各国の職人衆は顔面蒼白たらざるをえまい。

 チッ、いけねえ、また手が止って、もの想いにふけっちまった。解体は明日だ。

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 そんなことより、木の芽情報。昨日よりも、さらにツボミが大きい。ほころぶ、というべきか、ツボミが柔らかくなっているようだ。触ってみはしないけれども。
 隣のカリンにいたっては、これはもう、微小なれども「葉」だろう。嫩芽(どんが)というやつだ。