一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

閑か

f:id:westgoing:20220317140225j:plain

弥勒菩薩像、開山五百年護符カード。

 菩提寺金剛院さまは、寺を開かれてより五百年になられる。記念行事のいっさいは時局に鑑みて、残念ながら取りやめとなった。

 記念法要は、寺内にいく体かおわす諸仏のうち、弥勒菩薩さまをご本尊として、おこなわれる予定だった。せめてもと申すべきか、志ある檀信徒の名をご住職お手書きの巻物となし、永久保存記録として弥勒像の台座下に納めていたゞくことになった。
 ふつつかながら私も、同行何百名さんがたとご一緒させていたゞいたのはむろんのことだ。この地に暮して六十八年目となるが、わが名が町の歴史財にしかと記された最初の、そしておそらくは生涯唯一の機会となった。

 如来は師匠、菩薩は修行僧である。弥勒菩薩は、五十六億七千万年ののち、人間はもちろん草木虫魚いっさいの生命を救済するには、いかにすればよいかと、考え続けている仏だ。正覚を取って(悟りを啓いて)高みに鎮座する如来には感じられぬ、親しみをおぼえる。
 此度同行の記念にと、弥勒菩薩像を彫りこんだカードを拝領した。その金色はわがレンズでは、また私の写真腕前では、再現できかねる。
 取出してしげしげ眺めるのも、撮影のためであって、今後はタトウに納めたまゝ、長く拙宅のご本尊となろう。拙宅の貧弱な仏壇では、立体の仏像は不釣合いで、タトウにくるまった黄金カードが、ご本尊分家としてちょうどよろしい。

 仏教だろうとキリスト教だろうと、もともとは偶像崇拝を戒めている。偶像を崇めるのは、ほんらい信仰とは無縁のことだ。たゞ己一個の心持ちの目印として、なにかがあったほうが便宜だというまでである。
 開祖の遍照金剛空海に対してだって、信用・信頼感をおぼえてこそいるが、信仰しているかと問われゝば、怪しい。その著作についても、入門篇(と申してよろしいか、専門家の言は知らない)『三教指帰』こそ、註釈や現代語訳の助けを借りて面白く読んだが、主著とされる『十住心論』などは、どのページを開いても、さっぱり解らない。

f:id:westgoing:20220317174336j:plain

金剛院内大師堂、御府内八十八か所のうち第七十六番札所

 それでいて、外国人から信仰について問われゝば、仏教徒と応えている。たゞしごく穏健な世俗主義派であって、原理主義的信仰者ではない、と申し添える。
 なんらかの信仰を持っているのがあたりまえとするお国柄の人を相手に、信仰はない、と応えるのは、ひじょうに危険である。ならばお前は無神論者かと受取られる。ひいてはアナーキストかニヒリストか、さらには隠れたテロリストか、あちこちの側面から相手の想像をたくましくしてしまいかねない。あとが面倒だ。

 じっさいの信仰心はといえば、オテントサマ教の信者だ。だれも視てないようでも、オテント様が視ているぞ、と云われる、あのオテントサマである。
 原始的シャーマニズムと云われようとも、素朴過ぎる愚衆邪教と云われようとも、いっこう平気だ。これは途方もなく巨きな問題で、長いものを準備しなければならないので、面倒臭い。

 ところで今回の五百年法要は、金剛院さまにとって、もうひとつの大きな区切れ目である。第三十三代に当られる現ご住職がご勇退。ご長男の副住職が第三十四代となられる。記念法要はご住職にとってのご勇退の花道であるはずだった。
 いかに想いめぐらせても、お察しいたしきれぬご胸中かと思われる。
 ご住職は檀信徒への親しき接触・布教、さらには地元への還元活動という側面に、ことのほかお心を砕いてこられた。そのひとつで『金剛院だより』という私的な定期パンフレットをとおして、だれにでも読める形式で、肉声のメッセージを発し続けて来られた。

 令和四年三月の『金剛院だより』題字下には、(最終号)と銘打ってある。この様式も住職交代とともに変りますよというお報せだろう。
 記事には、記念法要中止の件と、ご勇退にさいしてのお気持が綴られている。お父上であるご先代(第三十二代)と母上の思い出、ご子息である次代と新たなる令和時代への期待が述べられた。
 ご先代はわが亡父と同齢で、父同士は親しくさせていたゞいていた。ご先代が亡くなられわが父歿した後も、大奥様はご長命でいらっしゃって、アナタがシッカリしなきゃダメでしょうと、五十ヅラ下げた私はしばしば叱られたものだった。

 そして『金剛院だより』最終号の最終ページ。常日ごろは縁の下の力持ち、ほとんど語られることのない大黒さん、ご住職夫人の隠れたご業績紹介と、夫人への感謝のお言葉をもって筆を擱かれた。お見事至極。有終の美とは、かくありたきもの。
 宗教者のみではない。巷の俗塵と化し果てたものゝふ雑兵といえども、出陣も帰還も、閑かでありたい。