一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

開花宣言

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 靖国神社の桜樹に三つだったかいくつだったか、花が来たら東京の開花宣言とするそうだ。たしかどちら側の何番目の樹と、目安になる樹も決っていると聴いた憶えがある。

 拙宅は本日三月十九日をもって、開花宣言とする。
 地面から距離もある梢近くで、白雲に紛れてうまく撮影もできぬが、四輪ほどの花が開花した。
 地表に近いところでも三輪。これらは、近くに適当な枝が見つけられずに、幹に直接花芽が着いたものか、幹からわずか数センチの短い柄が出て、先に一輪ずつ花を着けている。

 今はまだ、眼を凝らさなければ視分けられぬ状態だから、道行くかたがたのお眼を惹くことはない。立停まって視あげたり写メなったりするお姿を眼にするまで、これからの一日いちにちは早い。
 そしてあっというまに散り始める。そうなれば、往来を汚す。風が来れば、花びらは三軒四軒さきのお玄関先までも流れてゆく。恐縮して、お詫びして歩かねばならぬ日が、やってくる。

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  一昨日の花芽は、ほゞほころびたと云える状態だったが、からくも開花にいたってはいなかった。「からくも」と申すわけは、天気予報で、翌日(つまり昨日)は雨模様で気温も急激に下るとしていたから、早まって開花したものの翌日はぐんと冷えるというのでは、花も気の毒と思ったのだ。
 だがそんなことは、鈍感生物である人間による、いらざるさかしらであって、植物たちはとうにお視とおしにちがいない。昨日の雨と気温低下をやり過して、本日開花の運びとあいなった。

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 隣りのカリンはと視れば、上が本日、下が一昨日だが、すでに動かしがたく立派に葉である。足どりは、雨だの気温低下だのに惑わされない。
 「サクラの兄ィ、こちとら先ざき実を用意しなきゃならねえ都合ってもんがあるんだ。ごめんくだせえよ、ひと足おさきへ行ってるぜ」

 また一年、生き延びた。
 東京都を災害に強い都市にするとかで、拙宅前を倍の幅の道路にするという。沿道には古い木造家屋が多いこととて、取壊して引込め、道路側の土地は補償してやるから提供しろと、何年も前から云われている。どこかから突然、風に乗ってやって来られて、この地を選挙区とされてのし上った、美人知事様の眼玉政策だ。
 拙宅片隣りはとうに立退き、もう片隣りはコイン・パーキングだから、条件次第でいつでも明け渡せるとおっしゃってる。さらに見渡すと、四軒五軒先まで、ガラガラだ。緑の金網で囲われ、「道路予定地につき立入禁止」の立札が立っている。
 どうやら私と、あと数軒だけが、昭和期のスタイルで住み続けているようだ。

 べつだん反対も、反抗もしてはいない。たゞ先を争って手を打ったりはしないというまでだ。さっさと決断して、補償金を頭に集合住宅でも建てて、大家になれと、ディベロッパー各社の営業さんたちが引きも切らない。もっと安楽な余生を過せとおっしゃってくださるかたもある。
 拙宅老朽家屋を取壊す日が、とりもなおさず、桜とカリンを伐り倒す日である。その日がいつになるか、今のところ見当がつかない。
 とりあえず今年も、花が散ったら例年どおり、植木職の親方に電話して、来年のために剪定そのほかの手入れをお願いするつもりでいる。
 さてその来年が、あるかどうか。そんな噺も、こゝ何年か、親方と毎年してきた。