一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

買いかぶり

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 わが家の開花宣言は三月十九日で、東京都(靖国神社の桜)よりも一日早かった。が、これをしも、花冷えというのだろうか。今日は冷たい雨である。山沿い地域は雪もよいとも聴く。

 宣言の数日前から、いつ開花してもおかしくないほどに、ツボミは充実してきていた。ところが宣言前日、本降りの雨天。感心をとおりこして、敬服すらしたものだった。
 ほうら視たことか。この雨と冷えこみあるを予知して、やり過してから開花しようとしたにちがいあるまい。植物はなんでも知っている、と。
 ところが宣言を越えての今朝、数日前に増しての雨冷えである。植物への、買いかぶりだったろうか。

 加えて東京は本日、電力不足だという。先日の宮城・福島地震による火力発電所や送電網の復旧が、いまだ十分でないとの報道。東京電力は地方の電力会社から、急遽電力を回してもらわねばならぬかもしれぬという。企業・一般家庭に向けて、できるかぎり電力消費を抑えて欲しいとの要望が発せられた由。
 圧倒的に大量電力消費するのは基幹産業の大工場であって、一般家庭の節約などたかが知れていようが、塵も積もれば小山でもあろうか、暖房器具の室温設定は上限二十度でお願いしたい、というお触れが出た。
 エアコンというものを使っていない拙宅では、ご協力いたしようもないことだが。

 東北新幹線脱線事故の復旧は、ようやくジャッキを用いて車輛を線路に乗せる段階となり、開通区間もあるようだが、作業や安全点検に手間取る区間もあって、全線復旧は来月中旬の見込みらしい。
 地震の爪痕、存外巨きかった。

 それでも疫病対策の外出・営業規制からは脱するをえたようだ。私の暮しにはなんの変化も生じないが、お仕事盛りの現役社会人がたにとっては、待ちに待った日を迎えたのだろう。
 私のようなものにも、遠い間接的影響がありそうなのは、そしていさゝか関心あるのは、学生・生徒・児童たちの新学期である。ようやくにして「新学期」というものが実施できる。疫禍再来にでもなって、またぞろ平常でない新学期というような事態とならぬことを、祈る気持ち切なるものがある。
 オンラインだ、リモートだ、ズームだと申したところで、しょせんは教室の代用にすぎない。そして小中高大を問わず、教室などは学校のほんの一部分にすぎない。教員との応接などは教育・成長のほんの一部分にすぎない。
 友と同志と師と、対面し空間を共有することなくば、覚醒・発見の歓びは半減する。

 さてそれにしても寒い。川口八百屋さんまで野菜類を仕入れに出掛けるのも億劫だ。冷蔵庫片づけ運動とばかりに、昨日は奮闘した。今夜もさようなこととなろう。
 ということは、第一食(朝食)は買い食いで済まそうか。

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メンチカツ、あん生クリーム、ベーコンチーズ。

 拙宅からもっとも近場の名店、ハラダベーカリーさんも、この肌寒陽気が(私にとって)幸いして、行列が短い。サッと行ってサッと買物。ママさんや大ママさんとの世間噺は、次回に持越しとして、ものの三分でサッと帰宅。
 よってあれこれ迷う愉しみは放棄して、わが定番と申すに近い、長年いたゞき慣れたるトリオとなった。

 ところで、負け惜しみで申すわけではないが、樹木類はやっぱり人間ごときよりも賢く季節を知っているにちがいない。
 花冷えの寒気に見舞われようが、冷たい雨に打たれようが、彼らにとって最大の条件である地中環境が、動かしようもなく季節を報せてきているのだと思う。
 地熱や水分や酸素の状態だけではない。地中は地中小動物や微生物の王国である。地中には地中ならではの生態系があろう。それら全体の絡まり、連動、相互関係のなかで、開花日などが決ってきているのだろう。加えての一要素として、地上の気温・天候が位置づけられているにすぎまい。

 だというのに人間は、開花宣言だの花冷えだのと、表面現象に一喜一憂し、あろうことか風流を覚えてさえいる。植物や微生物たちからは、人間とはなんと他愛なきものかと、思われているのではないだろうか。