一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

選択

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司修(1936- )銅版画、拙宅玄関内に長らくご逗留中。

 思わぬ経緯から一昨日、記念品として美術品をいたゞいてしまったことがきっかけで、そうだ、ふさわしい次の所有者へと正しく手渡さねばならぬものもあるよなあ、ということが思い浮んだ。

 もとより美術作品に眼が利くわけでもなく、コレクション趣味が旺盛なほうでもない。ましてや値打あるものを、相応の金額を支払って所有しようなどと想いつくほど、暮しに余裕があった時期もなかった。
 手元にあるのは、よくよくの事情から入手したものか、いたゞきものかである。

 司修さんの銅版画『猫』は、酒場「風花」の開店ン十周年記念パーティー引出物としていたゞいた。それからすでにン十年経つだろうから、その間、拙宅玄関上りがまちの壁に架かっていたことになる。
 人さまをお迎えする玄関に、これ見よがしのうるさい作品は嫌らしいし、さもしい。かといって貧弱なものでは、お里が知れるというものだ。
 空気に溶けこんで目立たず、たまたま気づいてよく観てみると感心するという作品が望ましい。つまり地味ながら筋がとおった作品が、よろしい。

 いたゞいたとき咄嗟に、これは玄関に行ける、と直感した。思ったとおりだった。ゴミ屋敷然としたわが部屋へ踏入られてから、そこらに置いてある、横尾忠則さんの版画だのベルナール・ビュッフェのポスターだのに眼を止めて、なにごとかをおっしゃってくださるかたは多いが、今とおってきた玄関にこれがあったことに、気づかれるかたは少ない。いや、ほとんどなかった。目論見は成功したわけである。

 モデルの猫は、「風花」の飼い猫だった。マスコットだった。いや、主だった。
 カウンターの端っこ、壁に近すぎて、めったに客が腰掛けぬところに、身を横たえていた。混んでくると、ママさんの手でどこかへ移動させられた。
 といっても、私はこの猫の最晩年に拝謁したにすぎない。間もなく生涯を了えた。そのころはもう主どころか、帝王という貫禄だった。

 ママさんの回想によれば、ある雨もよいの宵のこと、まだ客も来ていないし、換気のために扉を開け放していたところ、通り掛ってふと覗いてみたという感じの猫が、ツーッと入ってきて、そのまゝ平然と居ついたそうである。
 毛足の長い素性の好さそうな猫で、気立ても悪くなさそうなので、ママさんも邪険にはせず、そのまゝ長逗留させることになったそうだ。
 「風花」の招き猫だったのだろうか。縁というのか巡り合せというのか、この仔を回想するときのママさんは、いかにも愉しそうなときもあり寂しそうなときもあったが、かならず笑顔だった。

 司修さんは、私なんぞよりずっと古くからのご定連でいらっしゃったろうから、帝王とご対面の機会も多かったことだろう。記念すべきン十周年祝賀パーティー引出物として、これ以上のモデルはあるまいと、ご判断なさったのだろうか。
 あるいはママさんか、当時はご健在だったマスターのアイデアで、司さんにお願いなさったのだろうか。正確な事情は知らない。うかゞったかもしないが、忘れた。

 司修さんのご職業を、さてなんとお称びしたものだろうか。画家で本の装幀家でデザイナーで、小説家でエッセイスト。いったいいくつの芸をおもちなのだろうか。
 えゝっ、アレもそうなの、というくらい、著名文人がたのご著書が司さんの装幀で世に出ている。小説は芥川賞の候補作としてノミネートされたこともある。
 地べたのボンクラから拝見すると、ルネッサンスの巨人がごときだ。

 「風花」のカウンターで二度ほど、偶然に隣り合せて、ご挨拶程度の世間噺をさせていたゞいたことがあった。当方が国文学の徒と知るや、古事記についての意見を求められた。大学に籍を置く学徒とは異なる独自視点からの切口で、驚くべきご見識を示された。
 司さんからご覧になれば、私などは問題外の若僧だったはずだが、終始謙虚で、丁寧な物云いをなさった。おだやかな物腰のうちに、たゞならぬ実力を感じさせるかたである。

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 いたゞいた銅版画をひと目観た瞬間に、これは縦構図の額縁で活きるのではと閃いた。横長の版画だから自動的に横長額縁という作品ではないような気がした。また作品に渋味があるからといって、落着きある木製額というのも、違う気がした。
 で、思いきり無機質なスチール製で、上下にたっぷり余白をとった縦構図で行ける額縁を探した。左右はむろん中央でよろしいが、天地は上にずらさねばならない。天地中央だと、肉眼には作品がずり落ちたように見えてしまう。
 天地中央よりどれくらい上にずらすか、当時かなり考え込んだ記憶がある。

 まあまあの仕上りとなった(と思う)。拙宅の玄関飾りは、まったく人さまのお力で、しかもタダで頂戴した作品を活用させていたゞいて、今日までやってきた。唯一私自身の関与といえば、額縁の選択のみである。