一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ポンプ

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 私はこの水で、タンコブ冷したり、傷口を洗ったりしたことがある。六十数年前のことだ。

 ご近所は花ざかりである。庭木としてお手入れされた花木類が花をつけているのは、そりゃあお見事。鉢植えやプランタを、お玄関先やお店の出入口脇に並べておられるのも、まことにきれいなものだ。
 が、それらに感心して歩を緩めたりはするものの、立停まってしげしげ眺めるというほどではない。それよりはむしろ、招かれざる客とでもいおうか、よろづ人間が強権的に制御管理する空間にあって、人間の思惑を無視し、それどころか時として嘲うかのように、しぶとく独自の生命活動をくり広げているような植物には、心惹かれる。

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 裏手の駐車場へと続く私道を舗装するさいに、建物とアスファルトの境目をきっちり埋める技術を、人間がもたなかったために、もしくは仕上げがずさんだったために、抜け目なく生命が萌え出たのだ。

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 道路脇の排水溝に蓋をするコンクリート材の設置に、寸分の目論見ちがいがあり、雨水が滞りがちになって、とかく砂埃が溜りがちになったのだろう。砂埃がある程度の厚みとなったころ、これはもはや砂埃ではなく泥だ、土の一種だと、すかさず視抜いた種子が、容赦なく根を下しのだろう。

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 玄関外の空きスペースだからと、ついつい監視を緩めているうちに、地表近くを横移動する植物たちは、制地権を拡大してゆく。こゝまではびこらせるつもりはなかったと、人間が本気で草むしりに乗出せば、彼らの個体生命はひとたまりもあるまいが、どっこいそのころには、彼らはとうに種子の準備を了え、ちゃっかり他へ蒔き散らせてしまっている。
 都会の住宅地にあってさえ、人間は植物から手玉に取られているようなものだ。人類が植物を支配しえた時期など、かつて一度もない。

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 せいぜい植物に邪魔されずに移動したいものと、路を舗装して、わずかの線上だけでも確保するのが、人間がなしえたせいぜいのところだ。

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 舗装路の下には、さまざまな都市設備が埋設されている。なまじ舗装したばかりに、保全や部品交換や経年補修にさいしても、おいそれとは掘り返せない。この位置で元栓を止めて、この位置で作業してと、最大効率を追求した作業手順が求められる。
 地下に張り巡らされた配管網の要所急所は、明確にしておかなければならない。横断歩道の真中だろうと、どこだろうと、地下世界の急所が優先である。当然だ。

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 なるほど、もし火事騒ぎでもあったときには、給水ポンプ車が停まるのはこゝか。

 それにしても、道端にうずくまったり、しゃがみこんだりしながら、マンホールのふたや雑草を覗き込んでいる老人とは、いったい何者だろうか。道行くかたがたからは、いかに見えることだろうか。耄碌か、精神疾患か、それとも世の歪みか。

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 いかなるいきさつで、いらざる感慨を催したかといえば、郵便はがきを買いに、郵便局まで歩いてみようという気に、ふとなったのだった。
 郵便はがきは、ファミマでも買えるのである。拙宅玄関を一歩出れば、向うにファミマの看板が見える。徒歩一分の距離である。そして、郵便はがきをファミマで買った経験も、数えきれぬほどあるのである。

 だのになぜか今日にかぎって、郵便局ではがきを買おうと、ふと思いたった。陽気のせいだろうか。太陽がまぶしかったから人を殺したという、西洋の有名小説があったが、まさか今日の私とは関係あるまい。
 郵便局員さんに、逢いたいかたでもいらっしゃったか。男女局員ほゞ皆さんを存じあげているが、失礼ながら今日の今日、どうしてもお逢いしてみたいかたはと思案してみて、思い浮ぶかたはいらっしゃらないのである。

 で、わずか徒歩五~六分の郵便局への道をそぞろ歩きしたわけだが、愚にもつかぬいらざる感慨。じつに三十分以上もかけて歩いた破目にとあいなった。
 ただ今では、スマホを落しただけなのに、とんでもない仕儀にとあいなるそうだ。スマホを所持したことのない私には、想像しかねる。ともあれ私は、郵便局まで歩いてみようかと、思いたっただけなのである。

 到着して、はゝぁと気づいた。というより思い出した。郵便局の側面、どてっぱらの壁ぎわに、昔こゝに井戸があったことを証するポンプだけが、モニュメンントのごとくに、残されている。廃棄忘れの残骸などではない。表面塗装されて、台座木材も整備された、立派な造形物である。
 すり傷やタンコブが日常のことだった、半ズボンの悪ガキ時代、私はいく度もこゝで傷口を洗浄した。
 この井戸ポンプモニュメントは、今のところ町の歴史文化財には登録されていないようだが、どうなっているのだろうか? 観光名所にもなっていないようだ。